2007/01/04

怒りに任せて

昼のニュースで、岡山県の児童相談所の職員らしき人物が会見をしているのをたまたま目にして知った。

「4歳児死亡、暴行容疑で母逮捕…口の中には唐辛子」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070104i403.htm

同じ年齢の息子を持つ父親として、悲しくて悲しくてたまらない。

「昨年12月17日午前4時ごろ、翔ちゃんが冷蔵庫に入っていたものを食べたことに腹を立て、顔を殴ったり、屋外に放置したりした」とあるが、そもそも、なぜ午前4時に4歳の子どもが一人で冷蔵庫を開けて食べ物を探さねばならなかったのか。真夜中に子どもが一人で冷蔵庫を開けて飢えを癒すという風景を想像しただけで涙と怒りがこみ上げてくる。

もちろん、僕自身は人様に何か言えるような立派な親ではない。だが、こうした話を聞くと、やり場のない怒りがこみ上げてくる。まして、倉敷市四十瀬と言えば、僕もよく通る辺りだし、あの馴染みのある風景の下で、こんなに悲しい出来事が起きたのかと思うと、辛くてたまらない。

確かに、子どもが悪いことをしたら、親には叱り、躾ける責任がある。だが、たとえばこの事件の場合、夜中に子どもが冷蔵庫を開けて食べ物を勝手に食べたのが引き金だったとすれば、そんな状況を生み出したのは他ならぬ親にある。

少なくとも、仮に自分の息子が夜中に冷蔵庫を開けて食べ物を探していたならば、僕は「おなか空いてるの?ごめんね」と抱きしめて、ご飯を作ってやるぐらいのことはするであろう。それが親ってものじゃないのか?僕は間違っているのか?

「光中容疑者は翔ちゃんと長男(8)との3人家族。県子育て支援課によると、長男と翔ちゃんは2004年2月、虐待を理由に倉敷児童相談所に一時保護され、翌月には翔ちゃんだけが家庭に戻された。その後も病院や警察から計5回、翔ちゃんの虐待の通告があり、同相談所が家庭訪問や面談を繰り返していた。」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070104i403.htm

この手の事件が起こると、児童相談所がスケープゴートとして批判されるが、残念ながら、公的機関には限界があり、児童相談所も警察ではないので、最終的には親の意向を尊重せざるを得ないのが現状である。まして、特にここ数年、岡山県は福祉職を大幅に削減する傾向があるようで、おそらくは人手も足りていないのが現状であろう。

確かに、「新おかやま夢づくりプラン」の策定や「ももっこカード」導入など、県は、外見上は育児支援を積極的に行っているように振る舞ってはいる。しかしながら、本当に大切なところ、人的資源や税金を投入しなければならないところには全く力が注がれていないのが現状ではないだろうか。

岡山には、日本初の孤児院を開設した石井十次の伝統もある。現在の岡山県が石井十次を誇ろうとするのであれば、その前にまず、石井十次に恥じないような現状を築かねばならない。

もっとも、逮捕されたこの母親も、苦しんでいたのだろう。いや、苦しんでいたことを願わざるを得ない。無職で、二人の子どもを抱えて、まして悪戯盛りの4歳と8歳の子どもである。フラストレーションが溜まるばかりで、出口のない人生だったのだろう。

僕は、この母親を擁護したり、同情するつもりはない。残念ながら、人生は厳しいものであり、仕事(=お金)を手に入れようと思えば自分にそれだけのスキルがなくてはならないのだし、僕自身はそれを身につけるために苦労しているのだから、「甘えるな!スキルがなければ苦労しろ!」と喝破したい。だが、この家族を取り巻く社会構造、経済環境は決して恵まれているとは言えないであろう。

近くに頼れる親が住んでいれば、あるいは防げたのかもしれない。倉敷市や岡山県の経済・産業がもっと活発で、母親が働ける職場があれば、ひょっとしたら防げたのかもしれない。

いや、仮定の話をしても始まらない。

今はただ、翔ちゃんの冥福を祈るしかない。

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