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2014/05/27

時折、強い自己嫌悪に陥ったり、酷い焦燥感に駆られたりする。もっともそれは幸いにも日常生活に支障が出るほどではないし、どこかで問題を先送りにしているだけなのかもしれないけれど、とりあえずそうした感情に蓋をしてやり過ごしてはいる。

こうした「公」の場ではあまり心情を吐露することはしないし、仕事以外では、もう何年もじぶんを押し殺したような生き方しかせず、ひたすら淡々と生きているから、どこかで心が麻痺しているようにも思える。何かに心底感動することなんて滅多に無いし、大声をあげて泣くこともできない。

じぶんの欲望すらじぶんではよくわからない。ぼくはいったい何を求めているのだろうかと、ふと疑問に思うこともたびたびある。

だから、感情を素直に表現できる人を羨ましく思うことがよくある。ひょっとしたら若い頃はぼくじしんそうだったのかもしれないが、ぼくはもう、そうやって感情を素直に表現する術を無くしてしまったようだ。

あるいは、何かにすがり、それに身を委ねてしまえば楽になるのかもしれないが、今のところぼくには仕事しかすがるものがない。だから、仕事以外では本当にぼくは空っぽの人間なのだと思う。

こんなことを書くと「心を病んでいるのでは?」と心配されてしまうかもしれないけれど、多分、そんなわけでもない。ただ単に、仕事しか能がない自分を嘆き、仕事以外に誇るべきものを持たないじぶんに嫌気がさしていだけなのだ。

仕事しか能がない、などと言うと傲慢に聞こえるかもしれないし、それで十分ではないか、と言われてしまうかもしれないが、仕事が出来なくなったときにじぶんに何も残らなくなることがぼくにはとても怖いし、かといって、それ以外のことに時間やコストを割く勇気もない。

先日、CHAGE&ASKAのASKAさんが覚醒剤所持で逮捕された。勿論、許されざることではあるし、ぼくじしんが薬物に手を出すことは絶対にないけれど、何かにすがって生きたいという気持ちそのものはわからなくはない。彼も、ぼくも、弱い人間なのだ。

村上春樹さんの小説『羊をめぐる冒険』の中で、主人公の〈僕〉が親友の〈鼠〉という男(正確には既に自殺した〈鼠〉の幻影)と対話する場面がある。そこで〈鼠〉が「俺は、俺の弱さが好きなんだよ」と言っていたのが頭にこびりついている。もっとも彼はその弱さを守るために死を選んだのだが。

弱さから逃れるためにASKAさんは薬に走り、弱さを守るために〈鼠〉は死を選んだ。ぼくはきっと、じぶんの弱さを隠すために、あるいは自分の弱さから逃げるために仕事をしているのかもしれない。それがぼくの、弱さと対峙する方法なのだろう。

ふと思うところがあってあれこれ書いたけれど、これでもかなり抑制した文章だし、本当の本音はきっと他のところにあるかもしれない、と思う。

2014/05/25

Just read!!

Just read!!
「パなさ」という表現を初めて目にして驚愕w

2014/05/15

(;´Д`)

複数の〆切抱えて原稿無間地獄絶賛徘徊中…(;´Д`)

2014/05/14

\(^o^)/

\(^o^)/
かき氷♪(*´∀`)

2014/05/10

He's back...

幼いころ、我が家には、居間にカラーテレビが1台、食堂に白黒テレビが1台あった。

大晦日になると、確か夕方あたりにテレビ東京かどこかのチャンネルで『ゴジラ』シリーズの映画を放映していて、居間では大人が他のチャンネルをつけていたから、ぼくは食堂の白黒テレビで一人、ゴジラを見ていた覚えがある。だが、第一作のゴジラを始めて見たのは中学生の時、それも新宿の高層ビルで行われた『ゴジラ展』の会場でのことだった。

幼いころに見ていたゴジラは、キングギドラと闘い、地球を守る人間の味方であった。だが、昭和29年(1954年)に上映された第一作の『ゴジラ』は、核兵器によって生み出された「災い」であり、人間にとって恐ろしい天災や人災を象徴するものであった。

それ以来、ぼくのなかには第一作の『ゴジラ』だけが本物のゴジラであり、それ以外のゴジラは子どものおもちゃのようなものだと思うようになった。平成に入って、新作のゴジラが作られ、上映されたが、そのいずれも、ぼくにとっては「おもちゃのゴジラ」の続きでしかなかった。勿論、それぞれの映画が力を入れてつくられたのであろうとは思うが、それでもやはり、子ども受けするような要素が見え隠れして、ぼくのなかでは第一作の『ゴジラ』を超えることはなかった。

第一作の『ゴジラ』は、人々にひたすら恐怖を与える理不尽な存在であった。第二次世界大戦/太平洋戦争終戦から9年しか経っていない当時の日本では、核兵器に対する脅威はまだ生々しく残っていたはずだし、昭和29年3月1日に、アメリカが太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁でおこなった水爆実験では第5福竜丸が被災し、核兵器が恐怖の対象としていっそうリアリティを持った時代だったはずだ。

第一作の『ゴジラ』の中には、母親の死体にすがりついて泣く子どもや、重傷を負って病院に運び込まれる人々の姿が描かれている。消防車が横転し、乗っていた消防士たちが投げ出されたり、放送塔でゴジラが接近する様子を生中継していたラジオアナウンサーが、ゴジラによって塔が壊され、墜落する様子も描かれている。白黒の映像であるからなおさらかもしれないが、まるで戦争で被災した風景のドキュメンタリー映像を見ているかのような気にさせられる。だが、それ以降のゴジラではそうした生々しい「死」や「悲しみ」は描かれていない。おそらくそれが、『ゴジラ』と「おもちゃのゴジラ」の違いなのだろう、と思う。

もうすぐ、ハリウッドでリメイクした"Godzilla"がアメリカで公開され、日本でも7月25日に公開される。東日本大震災や原発事故もモチーフとして組み込まれているらしい。まだ震災からの復興も実現せず、原発の問題も全く解決していない今の日本にとって、この映画はひょっとしたら傷口をえぐるような存在になるのなのかもしれない。だが、昭和29年に『ゴジラ』を観た人々が戦争の記憶を引きずりながらもこの映画を受け入れ、何かを感じ取ったのと同じように、ぼくらは"Godzilla"から何かを感じ取り、学ばねばならないのだと思う。

第1作『ゴジラ』
http://t.co/xuZ6vdLSlr

"Godzilla"日本版サイト
http://t.co/TmsF8Zo6FP

2014/05/04

御礼

御礼
『ハックツベリー』ご覧いただき、ありがとうございました!\(^o^)/

世界卓球の白熱した試合に押されて、かなり遅くからのスタートになりましたが、真夜中にもかかわらずリアルタイムでお付き合いくださった方もたくさんおられて、大変恐縮しております。

収録には二時間ほどかかったものの、放映時は相当カットされるであろうと予測していたため、果たしてうまく伝わるのかと思いましたが、さすがはプロの編集だなあ、と感心させられました。

放映時に説明したfastの用法は、同業の方ならばおそらくご存じのことばかりで、「なーにを偉そうに喋っているんだ」と思われたかもしれませんが、受け手や視聴者のことを考慮したうえでスタッフさんと相談し、あのテーマに決定しました。

番組制作に携わった皆様、とりわけ、あの「授業」を支えてくださった芸人の皆様には深く感謝いたします。芸人さんのプロ意識をまざまざと見せつけられました。

今後の展開がどうなるのか、いまのところぼくにはまったくわかりません。授業や原稿書きがぼくの本分であることは言うまでもありませんが、今後、何らかのイベントがあれば、最大限かかわっていきたいと考えています。

どうか、今後ともよろしくお願いいたします。

2014/05/02

Remain the same...

世間は連休で浮き足立っているが、ぼくは昨日まで授業で、今日は原稿。

明日も原稿。

明後日も…

( ´△`)

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