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2013/12/19

Hansen's disease

岡山県瀬戸内市邑久(おく)町虫明(むしあげ)の長島には、ハンセン病患者(正確には「元」患者)のための二つの国立療養所が存在する。

一つは島の西側にある邑久光明園( http://www.komyoen.go.jp/ )。もう一つが島の東側にある長島愛生園( http://www.aisei-rekishikan.jp/ )。

ハンセン病は、かつては「癩(らい)」と呼ばれていた。

この病気は、らい菌による感染症で、菌の感染力じたいはきわめて弱く、よほど多量の菌を吸い込まない限りは感染しないものの、治療法が確立していなかったり、早期に適切な治療を受けなかった場合、重症となり皮膚に重度の変形が生じるなどの後遺症が残ったため、外見上の差異から患者は忌避され、差別の対象となった。現在では治療法も確立され、日本では新規の患者数はほぼゼロに近い。邑久光明園のホームページには以下のような記載がある。

「ハンセン病については、別なページでより詳しく説明いたしますが、簡単に述べますと、らい菌によって引き起こされる慢性の感染症です。 この菌は神経組織との親和性が高く、末梢神経がおかされることによって生ずる神経障害がもっとも重要な症状です。 現在では、抗生剤を中心とする治療法が確立されており、完治する疾病です。 1943年までは有効な治療法がなかったため、現在当園に入所しておられる方々の大部分は、重複した障害を後遺症として残してしまいました。 早期診断と早期治療が重要で、最近診断される新しい患者さんのほとんどは、障害を残さずに治癒しておられます。 」

過去には、ハンセン病の感染力が強いものだと誤解され、かつ、遺伝するとも考えられていたため、明治時代以後、患者はこうした療養所に隔離され、さらに断種・不妊手術を受けさせられるなど非人道的な扱いを受けた。この長島の二つの療養所も、元々は患者を隔離するためにつくられたものである。ちなみに、開園以来90年以上、医療関係者でハンセン病に罹患した人は一人もいないという。このことからも感染力は極めて弱いということがわかるのだが、かつては外見上の差異からも必要以上に恐れられ、忌避されていたのだ。

戦後、ハンセン病の特効薬が日本でも導入されたが、下の記事(※1)によれば、当時、ハンセン病治療に関して大きな力を持っていた光田健輔( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E7%94%B0%E5%81%A5%E8%BC%94 )という学者が強硬に隔離政策や断種・不妊手術を主張したとされている(もっとも、これについては上記のWikipediaにあるように異論もあり、一方的に彼を責めることはできないのかもしれないが)。

※1:元ハンセン病患者が語る激動の半生とジブリ作品に込められた宮崎駿の想い(日刊サイゾー 2012年3月28日 16時00分/2012年4月27日 10時01分 更新)
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20120328/Cyzo_201203_post_10252.html

先日、畏友・木下先生と虫明に牡蠣を食べに行った際、帰りに邑久光明園に立ち寄り、資料館を見学した。この写真はその際に撮影したものである。

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冒頭に記したように、長島には邑久光明園と長島愛生園の2つの療養所がある。この島にはもともと長島愛生園しかなかったが、大阪府西淀川区中島にあった「第三区府県立外島保養院」が1934年の室戸台風による高潮で壊滅したため、長島の西側に邑久光明園として移転してきた。(※詳しい歴史はこちらを参照。 http://www.komyoen.go.jp/sanatorium/history/index.html )

この島にはかつて橋が架かっていなかったため、本土に渡るためには潮の流れの速い海峡を舟で越えねばならなかったが、1988年5月6日に邑久長島大橋が完成した。その後、1996年に「らい予防法」が廃止され、それまでは「患者」と呼ばれ施設から自由に出ることができなかった人々は「入所者」となり、自由に施設を離れることができるようになった。

本土側から邑久長島大橋を渡り、島に入るとすぐのところに小さな事務所と公衆トイレがあり、そこでパンフレットをもらえる。なお、島の奥(東側)には長島愛生園があるが、部外者は長島愛生園には勝手に入ることができない(※事前に予約すれば見学も可能である http://www.aisei-rekishikan.jp/guide.html )。

邑久長島大橋のたもとには、「となりのトトロ」のイラストが描かれた看板が立てられていた。最初は不思議に思ったのだが、先ほどの記事(※1)で宮崎駿監督がハンセン病患者への支援を行っていると知り、納得した。

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「普通に見たらわからないかもしれませんが、包帯でぐるぐる巻きの描写や、名前を取られてしまうといった設定はハンセン病患者そのものなんです。宮崎さんは記念碑や保育園を作ったときにもここに来ていただきましたし、寄付をいただいたこともあります。周囲に子どもがいるとサインをねだられて大変なんですよ」
( http://www.excite.co.jp/News/society_g/20120328/Cyzo_201203_post_10252.html?_p=3 )
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現在ここで暮らしているのは「元」患者であり、かつてここに隔離された人々がそのまま暮らし続けている。先述のように、日本国内で新規の患者が出ることはほぼ皆無であり、仮に罹患しても完治可能なのだが、治療法が確立する1940年代以前に罹患して重篤な状態になった人々がここに収容されているため、入所者の平均年齢は80歳を超え、おそらくはここを終の棲家とせざるを得ないのであろう。

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ハンセン病療養所にはまだ患者さんがいるのですか:
 ほとんどいません。ハンセン病は治っています。現在日本には15のハンセン病療養所があり、約2,200人の元患者さんが生活しています。平均年齢は82歳ですが、後遺症による身体障害や加齢も加わって、介護を必要とする人が多くいます。
( http://idsc.nih.go.jp/disease/leprosy/page01.html )
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そういうわけで、この長島の二つの療養所は、入所者にとって「世界」そのものであり、この小さな島で一生を終えざるを得なかった。かつては島内の患者の火葬も本土では引き受けてくれず、島内に火葬場が設置されていた。

資料館の展示品の中に、篤志家から寄贈された望遠鏡があった。そこには「この島から出ることができなかった子どもたちは、この望遠鏡で星空を眺め、何を思ったのでしょうか」という趣旨のコメントが書かれていた。

あと何十年かすれば、今入所している患者さんも亡くなり、この療養所も役目を終えてしまうのかもしれない。だが、日本という国が、そして日本の社会が彼らを忌避し、差別してきた歴史を決して忘れ去ってはならないのだ。

ハンセン病についてさらに詳しく知りたい方は以下のページをご参照ください。

▼国立ハンセン病資料館
http://www.hansen-dis.jp/

▼日本ハンセン病学会
http://www.hansen-gakkai.jp/

▼厚生労働省「わたしたちにできること~ハンセン病を知り、差別や偏見をなくそう」
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2003/01/h0131-5/histry.html

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