« Σ(・ω・ノ)ノ! | トップページ | (^_^;) »

2013/11/17

Fulfillment...

実に濃い土日だったw

高校の大先輩で、高校教員のTさんが岡山に立ち寄られることが決まったのが半年以上前の4月の頭のこと。Tさんは部活の7つ上の先輩で、なおかつ教育実習で教えにいらしたときにぼくも教わったので、頭が上がらないw(何しろその当時、ぼくはまったくといっていいほど勉強していなかったのでなおさらだwww)

…で、昨日、25年ぶりに再会。

既にずっとFacebookでやりとりしていたおかげであまり時間の隔たりは感じなかったし、旧知の知人というよりもむしろ、同業の先輩という感覚の方が強いような気がする。

昨夜は岡山駅でおちあったあと、「黒ひげ」で会食。今朝はTさんの宿まで迎えに行き、車で岡山の史跡巡り。Tさんのたってのリクエストで「熊山遺跡」に向かった。

ものすごく狭い、曲がりくねった山道を車でどんどん上がっていき、「熊山登山道入口」のところで車を止めて徒歩で遺跡を目指す。普段、まったく運動をしていないぼくにとっては拷問以外の何物でもないwww

…が、行けども行けども遺跡が見当たらない。
(;´Д`)

途中、あずまやがあったので、ぼくはそこで休憩し、Tさんには申し訳ないけれど、とりあえず一人で進んでもらったw

ところが、そこでグーグルマップを調べなおすと、どうやら遺跡のあるのはかなり先らしい。さらに、あずまやで休憩していた方に聞いてみると、「遺跡の近くに駐車場があって、そこからだとすぐに行ける」とのこと。

慌ててTさんに戻ってくるよう連絡を取り、ぼくはとりあえずいったん車に引き返した。で、先ほど車を止めたところからさらに10分ほど先まで進んでみると、確かに駐車場があって、そこからだと割とすぐに遺跡に向かえることがわかった。

駐車場でTさんから連絡が入り、先ほど止めていた駐車場で待っている、とのこと。すぐにそこまで戻り、Tさんと合流して遺跡近くの駐車場まで向かった。もし、あのまま歩いていたら2時間ぐらいかかったのではないだろうかw

そしてどうにか遺跡にたどり着いた…。
(;´Д`)

熊山遺跡を見て車に戻るともう昼過ぎ。どこかで食事を、と思ったが手ごろな店が思いつかず、かなりのロスタイムもあったため、その先の行程を考えるとあまりゆっくりもしていられない。

また、当初は牛窓のお寺にも行くつもりでもあったのだが、天候が崩れそうで、その後、吉備路にも行くことになっており、「明るいうちに造山古墳を写真におさめたい」とのご希望であったので、今回は牛窓は断念し、和気ICから高速に乗った。

倉敷ICで高速を降りて総社方面へ。雨がぽつりぽつりと降り始めた。Tさんは「雨男」だそうで、「晴れの国に勝った!」と喜んでいたwww

まずは作山(つくりやま)古墳(http://www.city.soja.okayama.jp/kyoiku_bunka/bunka/shitei-bunkazai/shitei_bunkazai_kobetu/kuni_07.jsp)を訪れ、次に、造山(つくりやま)古墳(http://www.city.okayama.jp/museum/okayama-history/07tsukuriyama-kofun.htm)へ。どちらも「つくりやま」なので、前者を「さくざん」、後者を「ぞうざん」と呼んで区別することが多い。

このあたりはとにかく古墳がたくさんあって、歴史的に非常に面白い場所なのだが、どの古墳も誰が埋葬されているのかはまったくわかっていない。これだけの古墳があるのだから、かつては強大な権力を持ったくにが存在していたと思われるのだが、大和の豪族(朝廷)が覇権を有した結果、「敗者」となり、その歴史が葬られてしまったのではないかと思われる。

造山古墳に着いたころには日も差してきて、晴れの国の力が雨男の神通力に逆転した模様w

造山古墳に上ると、祠の前には石棺らしきものが置かれている。これも、いつ、だれが、何のために置いたのかまったくわかっていない。とにかく謎だらけなのだ。

Tさんが「珍しいものが見えるよ」と言っていたので、その方向を見ると、千足古墳(第5号古墳 http://bell.jp/pancho/travel/kibiji/tukuriyama-a.htm )のてっぺんにテントが張られていた。Tさんによると、発掘作業中とのこと。少しでも謎が解明できれば面白いのだが。

ちなみに、造山古墳じたいは発掘調査がなされていない。これは以前、ボランティアガイドの方に伺った話だが、「造山古墳は、ひょっとしたら畿内の豪族、天皇家とのかかわりを示すものかもしれないので、造山古墳の発掘をしたら古代史が大きく変わってしまう可能性がある。だから、許可が下りないのではないか」とのこと。

何しろ、造山古墳前方後円墳としては日本4番目の規模で、上位3つは天皇陵。だとすると、当時(5世紀前半ごろ、と推測されている)、このあたりには大和の天皇に匹敵する力の豪族がいたか、あるいは、ひょっとしたら天皇とつながりの深い人物が葬られた可能性もある。

その当時について残っている資料としては『古事記』『日本書紀』しかなく、あとは朝鮮半島などの資料しかない。ましてや先に述べたように、吉備は「敗者」である。敗れ去り、失われた歴史を掘り起こすことがいかに難しいか…。

造山古墳を訪れた時点で午後4時近く。空腹も絶頂を通り越したw(ちなみにぼくは朝から何も食べていないw)

とりあえず岡山に戻って早めに夕食をとることになった。

ここからは、「吉備津彦と温羅(うら)」のかかわりを巡る。

まず、鯉喰神社に立ち寄る。小さな神社だが、次のようないわれがある。

〈吉備の国平定のため吉備津彦の命が来られたとき、この地方の賊、温羅(うら)が村人達を苦しめていた。戦を行ったがなかなか勝負がつかない。その時天より声がし、命がそれに従うと、温羅はついに矢尽き、刀折れて、自分の血で染まった川へ鯉となって逃れた。すぐ命は鵜となり、鯉に姿を変えた温羅をこの場所で捕食した。それを祭るため村人達はここに鯉喰神社を建立した。〉
「倉敷観光WEB」(http://www.kurashiki-tabi.jp/see/205/)より。

ちなみに、温羅は「百済の国の王子」とされている。
(http://www.kibitujinja.com/kibituhiko/index.html PCのみ)

次に、吉備津神社(http://www.kibitujinja.com/)へ。ちょうど七五三の時期で、家族連れがお参りに来ていた。

ここは吉備津彦の命(きびつひこのみこと)が温羅を倒すために使った矢を置いた岩や、吉備津彦によってはねられた温羅の首がその後何年にもわたって吠え続けたため、それを埋めた「お釜殿」もある。

つまり、吉備津神社は、温羅を鎮めるためにつくられた神社であるとも言える。

最後に向かったのは吉備津彦神社(http://www.kibitsuhiko.or.jp/)。

この2つは2kmほどしか離れていないため、どのような違いがあるのかが疑問なのだが、吉備津彦神社のホームページには以下のような説明がある。

〈同じ一宮でもあり距離も約2キロと近く‘彦’の違いだけですので、とても多い質問です。古くは二社とも「大社 吉備津宮」といわれていたようです。大化の改新(645年)以後、吉備の国が備前、備中、備後、美作の国に別けられて以来、吉備津彦神社は備前の一宮(岡山市一宮)、吉備津神社は備中の一宮(岡山市吉備津)として現在にいたっています。〉
(http://www.kibitsuhiko.or.jp/faq.html)

また、「教えて!Goo」にも同様の質問への回答があった。
==========
 律令体制以前の備前・備中・備後、それに美作は、「吉備」という1つの国でした(国名に上総・下総や筑前・筑後のように上下、前中後と付く国は、一つの国が律令体制で分かれたものです)。

 吉備中山に鎮座する吉備津神社は吉備氏一族の神を祀る神社ですが、吉備が4カ国に分かれた際に前述の吉備津神社が備中の「吉備津神社(岡山市吉備津)」に。そして備前には「吉備津彦神社(岡山市一宮)」が、備後には「吉備津神社(広島県福山市新宮町)」が建立されます。
 ですから備前の吉備津彦神社と備後の吉備津神社は、備中の吉備津神社(元は吉備の吉備津神社)から、国が分かれた際に分社され、それぞれの国の守り神、一宮とされたのです。

『国史大辞典』(吉川弘文館)
(http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2523448.html)
==========

地域の違い、単なる分社だと言ってしまえばそれまでかもしれないが、吉備津神社には温羅の首が祀られていることを考えると、吉備津神社は温羅の怨念を鎮める役割が主ではないか、とも思うのだ。

吉備津彦神社を後にして、岡山に戻る。

晩飯は焼肉だw

時間は17時。その時間だと「だるま」は開いていないはずなので、今日は「焼肉 東風(こち)」の本店へ。

何しろ朝から何も食べていなかったので、ひたすら食いまくるw

生センマイ、ユッケ(!)、特選厚切り牛タン、壺漬けカルビ、ホルモン、キムチ…。珍しかったのは「トマトのキムチ」。もっとも、漬け込んだものではないようで、湯むきしたトマトにキムチソースを合わせたシンプルなものだったが、美味しかった。

ユッケは店で加工したものではなく、業者が加工したものを仕入れているようで、ご覧の通りパックに入って出てきたw

主に教育についてあれこれ話しながら2時間ほど飲み食いした。といってもぼくはノンアルコールだから、代わりに肉と米を「呑んだ」のだがw

Tさんは複数の高校で地歴公民を教えていて、さらに韓国語も教えている。何年か前にたまたま韓国に興味を持ち、そこから勉強を始めたそうだ。常に新しいことを模索し、毎日が勉強の日々。ぼくも見習わねば、と刺激を頂いた。

食事の後、Tさんを宿まで送って別れた。

ということで、実に濃い2日間であった。

Tさん、またお会いできる日を楽しみにしています。

…ただ、山登りはご勘弁をwww
(;´Д`)

« Σ(・ω・ノ)ノ! | トップページ | (^_^;) »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。