« What do they intend to do? | トップページ | 村上啓介ライブ in Ajobe(岡山):前座に出演のお知らせ »

2013/08/17

It shoule be abolished!!

今日の昼、Twitterでつぶやいたことへの補足を。

==========
野菜嫌いの子どもが「ナスとキュウリとピーマンから一つ選べ」と強制的に食わされて「味はどう?」と尋ねられ、「不味かった」と答えたら叱られるから仕方なく「美味しかった」と答えたら、「どこがどう美味しかったの?具体的に」と突っ込まれて答に困る…これが「読書感想文」ってやつだ。
==========

このツイートは、何人かの方にリツイートやお気に入り登録をしていただいた。

先日、息子の高校の宿題で出されている読書感想文の指定図書を買いに行った。確か、3冊の候補があり、その中から息子が選んだ1冊を買った。どうやら文科省後援の「青少年読書感想文全国コンクール」に提出することを前提としているようで、その指定図書であったのだが、ここでふと考え込んでしまった。

なぜ、この本が課題図書なのか?と。

もちろん、その本じたいに罪はない。ふつうに読めば面白そうな本だ。だが、その本を読んで原稿用紙4~5枚分もの感想文とやらを書かねばならないというのは苦痛以外のなにものでもないのではないか、と思うのだ。むしろ、この本が課題図書に指定されたことで、「無理矢理読まされて、嫌々ながら感想文を書かされた」という嫌な思い出が形成されてしまう可能性のほうが大きいのではないか、と。

そもそも「感想文」とはいったいなんであるのか?

感動した気持ちを書けばいい、というものかもしれないが、さきのツイートでも述べたように、感想なんぞせいぜい「面白かった」程度で済んでしまうはずだ。それを長々と書き連ねなくてはならないのはなぜなのか?だいいち、この本を選んだコンクールの審査員は、果たしてこの本で原稿用紙4~5枚の感想文を書けるのか?もし書けないとすれば、じぶんたちにできないことを子どもにやらせることに何の意味があるのか?

じぶんが好きな本を読み、感動を覚えたのであれば、いくらでも言葉は出てくるかもしれない。しかし、限られた、きわめて狭い選択肢の中から読まされても、感動など湧き上がっては来ないのだ。ひょっとしたら、出版社とコンクール主催者や文科省の間に癒着でもあるのではないか、と勘繰ってしまいたくもなる。何しろ、課題図書に指定されれば売れることは間違いないのであるから。

そして、出版社は課題図書として認めてもらえるような「教育的」な本を出すことに専念する。そこには当然ながら、エロもグロもナンセンスもなく(笑)、ただあたりさわりのない「教育的」な綺麗ごとしか書かれていない。いや、別にエロ・グロ・ナンセンスが入った本を読めと言っているわけではない。だが、人間の社会は決して綺麗ごとではない。若いうちにドロドロとした厳しい現実を見せておくべきではないのか。

本来、本を誰かに読んでもらうということは、じぶんがその本を読んで激しく心を揺さぶられたからこそ、「これ、いいよ!」と言えるのである。果たして課題図書にえらばれている本に、それだけの力があるのか?

学校の教師にしても「感想文」の書き方を果たして教えられるのか?「受けの良い感想」の書き方を教えることはできたとしても、それでは生徒の本音を押し潰してしまうことになる。それが本当に教育と言えるのか?ひょっとしたら、学校の国語教師は何も考えずにただ安直に「課題をじぶんで考えるのが面倒だから」という理由で読書感想文を宿題として課しているのではないか?

そもそも「感想」の表し方を型にはめ込んでしまってもいいのであろうか?たとえば、本を読んでそのインスピレーションを絵にしたり、音楽にしたり、あるいは彫刻にしてもいいじゃないか。アニメを作ってもいいだろうし、劇を作ってそれをビデオにとってもいい。感想が自由であるのと同様に、その表現方法も自由であってしかるべきではないか。

このコンクールの主催団体のホームページには「年々作品の応募数も増え、第45回の読書感想文コンクールでは、ついに427万編を越えました」( http://www.j-sla.or.jp/contest/youngr/ )
とあるが、その陰でどれだけ多くの子どもが、わけのわからない拷問のような宿題を課されて本嫌い・作文嫌いになったかと思うとぞっとしてしまう。そして、ぼくのように、課題図書だからと仕方なく本を買わされて腹立たしく思っている親がどれほどいることかと。

感性を豊かにすること、感受性をはぐくむことが悪いこととは言わない。だが、日本の学校教育では作文や感想文ではなくむしろ論文教育を重視すべきである。みずから問題設定をして、必要な情報を探し、レポートや論文のかたちにまとめて論理的にじぶんの考え方を提示する能力こそ、生きるために必要な力なのだから。

« What do they intend to do? | トップページ | 村上啓介ライブ in Ajobe(岡山):前座に出演のお知らせ »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« What do they intend to do? | トップページ | 村上啓介ライブ in Ajobe(岡山):前座に出演のお知らせ »