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2013/07/06

Who is to blame?

安藤美姫選手の出産に対してバッシングがなされ、その一端を担った週刊文春が謝罪するという騒動にまで展開している。もちろんこれは週刊文春側に非があるのは自明ではあるが、安藤選手に対するバッシングの背景には、とりわけ若い人々を中心に「結婚」への憧れが高まっていることが存在しているような気がする(もちろん、こうしたバッシングをするのはおそらく「保守的」な中高年が中心なのだと思うが)。

その一つが、カップルのことを「ファミリー」と呼ぶ傾向だ。

これは特に中学生や高校生の女子に多いのだが、SNSでの書き込みを見ていると「●●fam」という表記をよく目にするようになった。famとはfamilyの略で、「●●」の位置には男子の名字が入り、さながら結婚して家族になったかのような表現を用いている。

何となく、おままごとのようで微笑ましくもあるのだが、それを目にするたびに「結婚して家族を作るって、そんな甘いもんじゃないよ」と厳しい言葉を投げかけたくなる気もする。

familyという単語は、家族という意味のほかに「一族」「団体」という意味も持つ。だから、暴走族の仲間もfamilyだし、暴力団もfamilyと言える。一昔前、小室哲也さんのプロデュースしたミュージシャンたちのことを「小室ファミリー」と呼び、そこから「●●ファミリー」という言いかたが芸能界で散見されたが(「つんくファミリー」など)、基本的にこうした「●●ファミリー」という場合の「ファミリー」とは、横並びで平等な関係のことではなく、その中の「権力者」を頂点とした疑似家族構造の人間集団を表している。

これはあくまでもぼくの偏見なのだが、こうした「●●fam」という表現を使っている女の子たちは、どちらかと言えばいわゆる「ヤンキー文化」に属していて、仲間とつるむ意識が強く、何かに依存する傾向が高いように見受けられる。つまり、先ほどの「権力者を頂点とした疑似家族構造」の中に身をおきたがる、ということだ。もちろん、そんなことを全く意識していない子もいるであろうが、婚姻関係も何もない単なる「カップル」を"family"という単位でくくろうとすることに、単なる「カップル」以上のつながりを求めているような気がしてならないのだ。

手厳しいことを書くかもしれないが、これは逆に、そうした層の女の子たちが、いわゆるキャリア志向ではないことを表してもいると思う。「●●fam」という表現では、ほぼ例外なく、「●●=男子の名字」である。つまり、旧来からある家父長制の維持にほかならない。そこに存在しているのは「自立した女性」ではなく「男性の庇護と支配のもとに置かれた(無力な)女性」である。男性を軸とした「ファミリー」を志向するということは、裏を返せば、社会での上昇志向を持たず、男性に依存する体質であるともいえる。もちろん、家庭と仕事の両立ができるに越したことはないが、残念ながら今の日本の社会では女性の「M字型雇用」に見られるように、それはほぼ不可能に近い。

そして、この「●●fam」ということばの流行から見れば、安藤選手の「未婚の母」はまさに批難の対象となってしまう。あるいはそこには、「安藤選手のような一流のアスリート=自立した女性」にはなれない女性の嫉み、やっかみすらも見え隠れする。

実はこれは、女子だけではない。社会全体の保守化に伴い、おそらく男子もそうした「家庭願望」を強めているような気がする。先日、ある浪人生の男子から次のようなコメントを頂戴した。一部を引用したい。

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「結婚といえば、近年増えているのが「できちゃった結婚」ですね。自分は、芸能界にも広がるこの気風を遺憾に思います。また、メディアが「授かり婚」と称して、これを正当化するような態度も甚だおかしなものです。ナインティナインの岡村さんも、これには、数年前から警鐘を鳴らしていました。(中略)結婚する人間や、結婚前に妊娠をした人に対して安易に「おめでとう」と言ってはならないはずではないでしょうか。」
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これに対して、ぼくは次のように回答した。

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■そもそも、現在のような婚姻制度は、いつ生まれたものでしょうか?君が「出来ちゃった結婚」を批判する立場もわからなくはないのですが、〈結婚→妊娠→出産〉という流れは、おそらく、明治時代以降の民法によって確立されたものであり、それ以前にはもっとおおらかで、いわゆる「出来ちゃった結婚」に対してもっと寛容だったのではないか、ということが考えられます。近代化の中で「家」単位での戸籍を確立し、確実に税を徴収できるようにすることが必要だったからこそ、国は法律を整備し、婚姻を家単位のつながりとして法的に固定したはずです(もちろん、それ以前にも、既に婚姻は家単位のつながりではありましたが)。

■君は、離婚や「出来ちゃった結婚」が「自らの子孫を残すことに関することの責任に疎くなって」いることの現れだとも書いていますが、むしろ問題なのは、たとえ離婚しても、あるいは結婚せずに子どもを産んだとしても、きちんと育てられる社会環境があるかないか、ということだと思うのです。ちなみに、北欧では離婚率は50%にのぼります。しかし、社会福祉政策が手厚いため、離婚したからといって子どもが不利な立場になるようなことはありません。好きでもないのに、体面や「子どものために」という理由で形骸化した男女が夫婦のかたちを続けていることのほうが、不幸ではないでしょうか。

■それから、媒酌人を立てない、ということについて言えば、むしろ媒酌人を立てるという制度の方がおかしい、という考え方もありうるはずです。そもそも結婚するのは当人同士であり、まるで「保証人」のような媒酌人の存在は、ある意味、「大きなお世話」にもなりかねません。社会に出ると、さまざまなしがらみが存在します。媒酌人になるのは、会社勤めの場合、上司夫婦が多いのですが、たとえば転職したい場合や、その上司と仲が悪くなった場合など、思わぬところで悩む可能性も出てきますし、仮に問題が生じて離婚しなければならなくなった場合、媒酌人が上司だったりすると、会社内でのじぶんの立場も悪くなる可能性があります。そもそも、本人同士の意志が堅ければ媒酌人など不要ではないでしょうか。

■また、君は「結婚する人間や、結婚前に妊娠をした人に対して安易に「おめでとう」と言ってはならないはずではないでしょうか」と書いていますが、「結婚前に妊娠をした人」はさておき、「結婚する人間に安易におめでとうと言ってはならない」というくだりがぼくにはよく理解できませんでした(離婚率の上昇を食い止めるために、安易に結婚してはいけない、ということなのでしょうか?そのあたりが論理的に一貫していないので、ぼくにはこの一節の意味がわからないのです)。

■これまでの文面から察するに、君はとても真面目で、信念を持っていると思うのです。それを非難するつもりはありません。しかし、固定観念に凝り固まって、思い込みで突っ走る危険性もあるため、もっと視野を広げることも必要だと思うのです。もちろん、持論を曲げたくない気持ちもわかります。しかし、大学に入ってから様々な人と議論をする時、じぶんと異なる意見を柔軟に吸収し、逆に、持論を展開したければ、相手の意見に根拠を持って反論することが必要になります。「ダメなものはダメ」では、そもそも議論が成立しませんから。

■じつは、つい最近、知人の息子さんが「出来ちゃった結婚」をする予定だと聞いたばかりです。ぼくはその息子さんもよく知っていますし、生活の基盤が整ってさえいれば別に「出来ちゃった結婚」でも問題はないと思っています。だから、「おめでとう」と素直に喜びを伝えました。ほかには、離婚した友人もいますし、いわゆる「未婚の母」となっている友人もいます。

■何が幸せなのかは、当人にしかわからないことです。
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これは安藤選手の出産報道の前の話であるが、この生徒さんにとってはひょっとしたら安藤選手の出産も虫唾が走るものだったかもしれない。

だが、そもそも、出産は、女性が生命を落としかねない極めてリスクの高い行為である。そのリスクをあえて引き受けて子どもを産んだ以上、それは褒め称えられこそすれ、貶められるべきものではない。また、出産と結婚は全く別物である。それを結びつけて考えるのは、あくまでも日本の文化や社会の構造の話であって、決して人類に普遍的なことではない。結婚/家制度/出産を結びつけることにより、婚外子への差別や片親家族への差別が生み出され再生産されているということを絶対に忘れてはならないのである。

だからこそ、批難すべきは安藤選手ではない。たとえ未婚であっても子どもを育てることができる社会環境や福祉制度を充実させることができていない、日本社会そのものにその矛先を向けるべきなのだ。

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