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2013/03/25

I'm a nomad...

谷本真由美『ノマドと社畜』(朝日出版社、2013年)を読んだ。著者の谷本さんはTwitterで @May_Roma (メイロマ)の名前で活躍し、多くのフォロワーを抱えている。ぼくもその一人だ。

ご自身の体験に基づく歯に衣着せぬ発言で、スイーツ(お気楽で能天気な考え方しか持たない、甘ったれた連中)たちをバッサバッサと切っていく。とはいえそれは、厳しい現実を知るが故の「正論」であり、彼女の高い能力のあらわれであると同時に、親身になっているからこその「正論」である。

そんなわけで、『ノマドと社畜』をとても楽しみにして購入し、先日、一気に読了した。

「ノマドワーカー」ということばはここ数年流行の言葉で、「一定の場所にとどまることなく、ノマド(遊牧民)のようにあちこちを渡り歩きながら仕事をするスタイル」のことを示している。

いっぽう、「社畜」とは「家畜」をもじった言葉で、「家畜のように会社に縛られた生き方をする人々」のことを示す。侮蔑的で、会社員がみずからに対して用いる場合、自嘲的でもある。

だから、『ノマドと社畜』というタイトルを見ただけだと、「会社に縛られる『社畜』なんてやめて、みんな、自由に働こうぜ~」という生き方を提唱しているように受け取る人もいるかもしれないが、それこそ谷本さんが批判の俎上にあげている「スイーツ」の発想であり、本書の主張は全く異なっている。

「ノマド」という働き方を知っただけで、「スイーツ」たちは憧れを抱く。「家畜のように会社に縛られる『社畜』なんてまっぴらごめんだ。パソコン一つ抱えて、オシャレなカフェで自由に仕事をする…なんて素敵なんだ!」とお気楽に考え、その結果、「こうすればあなたもノマドワーカー!」といった謳い文句の商売に騙される。本書の第一章(「ノマドブームの正体とは?」)には、こうした「スイーツ」な若者の事例がごろごろ登場する(もっとも、彼女は本書では「スイーツ」ということばは使っていないが)。

第一章を読んでいて気づいたのは、ここに登場する若者に共通するのが「スタイルから入る」ということである。「パソコンは●●、携帯は△△、仕事をするのはどこそこのカフェで…」というスタイルやイメージばかりが先行して、肝心の「売り物」が何一つない、ということだ。

ノマドワーカーは、昔で言えば「渡り職人」である。そもそも、何のスキルも、売るべき内容も持たない「渡り職人」など存在しない。それは「職人」でも何でもない。職人の「スタイル」だけを真似たところで仕事にありつけるはずなどないのだ。

第二章(「世界を渡り歩くノマドたち」)では、ヨーロッパでフリーランサー(=日本で言う「ノマドワーカー」)が生まれた背景や、彼らの仕事のスタイルと内容、契約の仕方、法律、組合などについて説明している。これを見ると、ヨーロッパのフリーランサーたちがいかに厳しく、かつ恵まれた状況に置かれているかがわかる(組合や法整備などの面で、日本など比べ物にならない)。

第三章(「激烈な格差社会の到来」)では、ノマド的な生き方に就くことの難しさが述べられている。

フリーランサーは「即戦力」でなければならない。しかも、高い能力を有していなければ、仕事は回ってこない。「ずぶの素人が、仕事をしながら覚える」では駄目なのだ。ということは、新規参入のハードルがきわめて高いことになる。

若者は仕事を覚えるために、企業に「インターン」(研修制度)として勤めるが、日本とは異なりイギリスでは「インターン=ただ働き」であり、インターンに参加して仕事をマスターするためには、その間の生活費を賄えるだけの資金力が必要になる。つまり、「貧乏人は仕事を覚える経験を買うことすらできず、仕事が覚えられず、仕事にあぶれたままで、貧乏であり続ける」という悪循環に陥ることになるのだ。

これに比べれば、日本の「新卒一括採用」がいかにぬるま湯の制度であるのかがよくわかる。

この第三章の中で彼女がノマドを「外人部隊の傭兵」にたとえている箇所があったが、ぼくじしん、じぶんのことを「傭兵」だと考えている。

以前、秀英予備校に勤めていた時、日本史の伊藤賀一先生と静岡校で毎週一緒だった年がある。伊藤先生とは授業の後によく一緒に食事をした。その時に「ぼくら非常勤講師はまさに〈傭兵〉だねえ」とお互い話していたのだった。

予備校の非常勤講師は、おそらく、「ノマドワーカー」である。「即戦力でなくてはならず、高い能力が要求される」のは間違いない。そして、その年の職にありついたからといって、翌年も仕事があるとは限らない。能力が無かったり、人気が無かったりすればすぐに契約解除だ。逆に、評価が高ければそのぶん、コマ数も増えるため、給料も増える。

ぼくのばあい、大学で塾講師のバイトをしていたし、そもそも大学院に進んだのも研究者になるというよりはむしろ予備校講師になるためであったので(大学受験の指導をするからには、大学の教員の視点を獲得する必要がある。そのためには、多少なりともアカデミックな空気を知っておかねばならない)、そういう意味ではまさに「インターン」のようなものだったのかもしれない。

だからすぐに即戦力として採用された。もっとも、いまでも相変わらずじぶんの授業が完成されたものだとは思わないし、毎年改良の余地があると反省することしきりではあるけれど。

閑話休題。

第4章(「社畜とは何か?」)では日本の企業風土についての分析と批判を展開し、同時に「ノマド的な社畜(=会社に雇われつつ、じぶん流の仕事の方法を模索し、その分野の「プロ」として活躍する人材)」になることが提唱されている。これならば、万が一、転職する際でも即戦力になれるし、

これを読んで思い出したのが、入試の長文で有名な"work"と"labor"の区別だ。この英文の趣旨は次のとおりである。

「人間は、自由と重要性を感じられなければ不幸だ。今の世の中では重要性を感じられるのはじぶんのやったことに対してお金が支払われることである。laborとは、金のためにいやいや働くこと。重要性はあるけれど、自由ではない。laborの対立概念はplay(遊び)である。だが、遊びは自由ではあるけれど重要性は。その中間に位置するのがworkであり、遊びのようにじぶんが好きでやる(=自由がある)と同時に、お金ももらえる(=重要性を感じられる)仕事のことを指す。」

この区別を適用するのが適切かどうかはわからないけれど、谷本さんの仰る「ノマド的な社畜」というのは、この"worker"にあたるのではないか、という気がした。

最後の第5章(「競争社会を生き抜くために」)では、ノマドワーカーの厳しい現実を前提として、それでもあえてその生き方を選びたい、という人のためのアドバイスが書かれている。

ただ、非常に興味深い本ではあるが、おそらく、第5章まで素直に読んで受け入れられるだけの柔軟な能力のある人ならば、「スイーツ」とは言い難いであろう。逆に、「スイーツ」とされる思慮の浅い人々は、彼女の言うことなど意に介さず、この本に書かれているアドバイスを素直に受け入れることは無いのではないか。

ぼくはこの本を、高校生や浪人生に、そして、大学生の諸君にも読んでもらいたいと思うし、この本をきっかけに、じぶんのこれからの生き方を考えてもらいたいと思う。

ただ、ノマド風の働き方をしているぼくからすれば、「ノマドはつらいよ」と言いたいがw

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