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2013/01/31

How can I help them?

2月7日に創志学園高校で行われる「岡山県高等学校教育研究会英語部会私学部門研究協議会」の講演に必要な資料やレジュメを作成し、昨日、高校に持参した。ただ、話す内容についてはまだ若干の調整も必要で、あれこれ考えあぐねている。

これまで様々な人を対象に講演をしてきたが、高校の教員、それも英語の教員を対象に話すのは初めての経験となる。彼らは何を聞きたがるのであろうか。

ぼくにできるのは、予備校の講師が、高校で文科省の検定教科書を用いて授業をするときにどのような工夫をしているのか、ということにすぎない。それも、いま、じぶんが受け持っている(および、これまで受け持ってきた)クラスでの経験をもとに話すしかない。

予備校の講師が高校の教師に対し、授業について話をする場合、どうしても「予備校流の教え方」を押し付けたり、ひどい場合になると、高校の英語教育への批判となってしまう恐れがある。だが、それはぼくの本意ではない。

確かに、若いころは「高校の授業がいい加減だから、生徒さんは予備校や塾に来て『わかりやすい』と言うのだ」という想い(というか、思い上がり)もあった。だが、この十数年の間に状況は大きく変わり、予備校や塾の教育原理が公教育の現場に浸透するようになった。現に、ぼくじしんがこうして高校で教壇に立っているわけで、「高校の授業がいい加減だ」という批判は成り立たなくなってきた。

ただ、高校での英語教育が、そもそも構造的な問題を抱えていることも否定はできない。

そもそも、高校での英語教育は、建前としては大学受験を目標としたものではない。つまり、本来、大学受験英語は「サブカルチャー」であるはずであった。だが、本音としては、大学受験英語が「メインカルチャー」となっている(このあたり、ロースクールの在り方の問題とよく似ている)。言い換えれば、受験英語以外の英語教育とはいったい何であるのかがはっきりしない、ということだ。

まあ、そこまでややこしい話をするつもりは無いけれど、そうしたあれやこれやの複雑な想いを持ちつつ、どうすればじぶんの報告が少しでも役に立てるかを考えてみたいと思う。

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