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2012/05/13

Mother's Day...

以前にも書いたかもしれないけれど、母から聞いた、母が幼いころの話。

1944年(昭和19年)生まれの母。母の父、つまりぼくの祖父は翌1945年の6月に神戸で空襲にあって亡くなった(この話も以前に書いたと思う。会社の部下をかばって防空壕の入口で盾となり、亡くなったのだ)。

祖母はその後、女手一つで母を含む4人の子どもを育てたが、母たちに侘しい思いをさせまいと何かと工夫を凝らしていたようだ。

庭で苺を育て、当時はおそらく貴重品であったであろう砂糖を使い、ジャムを作る。小麦粉を水で薄く解いてクレープのようなものを作り、苺のジャムを巻いた「お焼き」が、母にとっては楽しみなおやつだったそうだ。

当時、母たちは瀬戸内海の島で暮らしていたが、ある日、用事で祖母に連れられて大阪まで行った時のこと。

かなり鮮明な記憶が残っているというから、おそらく、昭和22~23年ごろだろう。当時の日本はまだ焼け跡が残っていて、あちこちに浮浪児がいた。『火照るの墓』の世界を思い浮かべてもらえればわかるだろう。

母は、お手製の「お焼き」をバスケットに入れ、祖母と二人で大阪に行った。

目の前に、おそらくは小学校高学年ぐらいであろう男の子が一人、弱々しく横たわっていた。栄養失調で痩せこけて、身動きもとれなかったようだ。

祖母は母に「その『お焼き』、あの子にあげてもいいか?」と尋ねた。母としては自分のおやつがなくなってしまうのは悲しかったであろうが、それでも素直に「いいよ」と言って、バスケットから「お焼き」を取り出した。

祖母は、力なく横たわるその男の子の手に「お焼き」を握らせ、「しっかり生きるんだよ」と言って、その場を後にした。

その男の子が、その後どうなったのかはもちろんわからない。ひょっとしたら、もうその時点では手遅れだったのかもしれない。

だが、祖母としては居てもたってもいられなかったのであろうし、母も、幼いながら、困っている人を助けようという思いを強く抱いていたのだろうと思う。

こんな優しさを持った母を、ぼくは誇りに思っている。


今日は、母の日。

カーネーションの一本も贈ってやれない不肖の息子だが、ここまで育ててくれて本当にありがとう。

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