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2012/01/31

An eye patch...

An eye patch...
静岡に別れを告げて、四日市へ。今日から2日間、四日市校舎にて難関私大直前テストゼミだ。

数日前からまた右目の逆さまつげがぶり返したようで、非常に鬱陶しい。もう抜けたかもしれないが、気になって目をいじったためか、違和感がある。仕方なく眼帯を買ってつけた。おかげで遠近感がさっぱりつかめない。

ふと思うのだが、どうしてマスクや眼帯は白ばかりなのだろうか。近頃のマスクには柄つきのものもあるようだが、眼帯もお洒落になったらいいのに、と思う。

今日・明日は四日市校舎で直前講習会。そして原稿…orz

2012/01/30

For the first time in two years...

For the first time in two years...
For the first time in two years...
所用で2年ぶりに静岡へ。ホテルにチェックインし、ひたすら原稿と格闘した後、校舎にご挨拶をして「クシゾー」(http://r.tabelog.com/shizuoka/A2201/A220101/22011139/)へ。

ここは4年前、まだぼくが静岡校舎に出講していたときにオープンした串揚げのお店で、静岡校舎で授業をしていたときには足繁く通った。

とてもアットホームで、美味しくて居心地が良い。

明日からの四日市校舎の授業に備えて、英気を養わねばwww

2012/01/29

On this cold day...

On this cold day...
On this cold day...
今日の昼飯は「山西刀削麺(サンツートウショウメン)」にて「坦坦刀削麺と回鍋飯セット」。

辛いものはあまり得意ではないけれど、寒かったので坦坦麺味を頼んでみた。

刀削麺とは文字通り、練った小麦粉の固まりを刀のような刃物で平たく、かつ細長く削りながら鍋に投入して茹でる麺で、昔、『美味しんぼ』を読んで知ってから一度食べたことがあるが、それ以降なかなか食べる機会がなかったので、この店ができてからぜひ足を運んでみたいと思っていた。

麺は、うどんときしめんの中間のような感じで、もちもちしている。熨しているわけではないので厚さが均一ではなく、少しかためのところもあったが、しみじみと美味し。

今日はいまから浜松校舎で昨日の続きの難関私大直前テストゼミ。

終わったら…原稿だ…orz


さあ、頑張ろう!!

2012/01/28

I can't afford it.

今日から2日間、浜松校舎で直前講習会。難関私大直前テストゼミだ。

移動中の新幹線の車内ではひたすら原稿と格闘。はひい。
(´д`)≡3


というわけで、今日の日記は手抜き(泣)。書きたいことはたくさんあるけれど、精神的な余裕がない…。
orz

2012/01/27

What can I tell them?

今日は朝から創志学園高校で授業。帰り際に駐車場で、ふだん受け持っていない女子生徒さん数人から話しかけられた。

「せんせー、何の先生なの?」

英語だよ、と答えて少しの間、話をした。普段のぼくは一人称として「ぼく」を使っているのだが、どうやら彼女たちには違和感があったようで、「せんせー、見た目と違って優しいねーw」と言われた。
(^^;)

彼女たちは看護科の1年生とのこと。あと数年したら看護士さんになるわけだ。


ぼくはふだん、特進クラスしか受け持っていない。つまり、大学受験英語に特化した英語の授業を行うことが要求されている。

だが、進学に関係のないクラスでは、いったい何を伝えるべきであろうかと、ふと疑問に思うことがある。

これは、高校で授業をするようになる以前から思っていたことではあるが、こうして高校で授業をするようになって、そのことをより意識するようになった気がする。

進学校では「入試に関係ない科目はおろそかにされ、そうした科目の授業中に『内職』(=入試科目の勉強を隠れてすること)をする生徒がいる」と聞くことがある。

だが、進学校や進学クラス以外では、極論すればすべての科目が「関係ない」科目だとも言える。


ある意味では、「受験」という目的意識が明確な生徒さんを対象とした授業は、黙っていても生徒さんが勉強してくれるのだから(もちろん、中にはそうではない生徒さんもいるが(^^;))、授業の進行は楽なのだ。

そうした目的意識を持たない生徒さんを受け持った場合、ぼくははたして何をどう伝えるべきなのであろうか。これは特定の学校を念頭に置いた話ではなく、あくまでも一般論としての話として考えてみたい。

すぐに思いつくのが、「日常英会話」をはじめとするいわゆる「実用英語」かもしれないが、それとて日本で暮らしている以上、万人が必要なわけではない。実用性を重んじるならばむしろ、中国語や韓国語を学んだ方が役に立つかもしれない。

洋画にしても、字幕や吹き替えがあるのだからわざわざ英語だけで見る必要もない。

まして、英語が大の苦手、いや、勉強そのものが苦手で大嫌いな生徒さんも多いはずだ。場合によっては、中学英語の基礎からやり直すことに莫大な時間をかけることになる。

英検など何らかの試験を目標として、それに向けて目的意識を持たせる手もあるが、これとて万人向けとは言えない。

だとしたら、単に「英語」という枠組みの中だけで考えるのではなく、これから社会に出て仕事をするために必要な論理的思考力を養うための、いわば、論理訓練の一環としての英語教育という位置付けを徹底すべきではないだろうか。

もちろん、これはかなり難しいことではあるが、実際、社会で働く際に必要な思考力やコミュニケーション能力を身につけることが、こうした生徒さんにとってはもっとも必要なのだから、その手段としての英語教育というカリキュラムを考えて実践する必要があるだろう。

つまり、「英語を教える」のではなく「思考力を鍛える題材として英語を使う」ということだ(もっとも、それは英語で行う必然性がないことも確かだが)。

たとえば、欧米の学校の小学生や中学生向けの算数や数学、または理科や社会の教科書を副教材として使い、易しい英語で与えられた課題を解く、ということも考えられる。


ぼくはおそらくこれからも特進クラスだけを受け持つことになるはずだが、今日、駐車場で話をした生徒さんの授業を仮に受け持つことになったとしたら、きっと、そんな風に授業を組み立てるだろう、と思った。

2012/01/26

The final lecture in Nagoya!!

The final lecture in Nagoya!!
The final lecture in Nagoya!!
The final lecture in Nagoya!!
昨日と一昨日の2日間で、名古屋校舎でのぼくの2011年度の講義は終了。


受講生、並びにスタッフの皆様、お世話になりました!!


今週末の土日には浜松校舎、来週の火曜日・水曜日には四日市校舎にて同じく直前講習会。

それで2011年度の、秀英予備校でのぼくの講義はすべて終了となる。


昨夜は最後の定例会@釜山( http://r.tabelog.com/aichi/A2301/A230104/23012287/ )。サムギョプサルやら豚足やら韓国料理をたらふく喰らい、遅くまで語らった。

今朝は名古屋から岡山に戻り、某社の編集さんと昼飯を食べながら新規の原稿の打ち合わせ。かなり急な仕事だが、新たなジャンルの仕事でもあり、楽しみだ(ただし、相当大がかりになりそうなので、あれこれやらねばならないが…)。
(^^;)

2012/01/25

A bad taste...

大学生の時、社会言語学者の田中克彦さん( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%85%8B%E5%BD%A6 )をお招きして大学で講演をしていただいたことがある。これは、社会学部の学内学会という組織のイベントで、たまたまその時ぼくは役員をしていたので、田中さんに直接交渉して来ていただくこととなった。

そのころぼくは、ことばと差別の関係について考えていて、いわゆる「差別語」について田中さんがどのようにお考えなのかを尋ねてみたいと思っていた。

田中さんは、ことば・差別・権力・国家といった問題について多くの著作を書いておられるが、ぼくはたまたま浪人生の時に田中さんの『ことばと国家』 (岩波新書)を原典とする現代文の入試問題に出会ったのがきっかけだった。

ぼくが考えていたのは、「差別語」なるものがはたして存在するのかどうか、ということだった。「差別語」というとわかりにいかもしれないが、「放送禁止用語」に置き換えて考えるとわかりやすいかもしれない。

たとえば、「きちがい」ということばは、いわゆる放送禁止用語であり、テレビやラジオで用いることはできない。大学の図書館で放送禁止用語や差別語に関する文献を借りて読んだが、八百屋や魚屋など「~屋」で終わる商売名も基本的には放送禁止用語に入ると知って驚いたことを覚えている。

「~屋」の件については http://www.jiko.tv/housoukinshi/sabetsu3.html によると、

==========
「その多くが、特定の日に金銭の授受が行なわれる商慣習を持つ商いでなかったことから、軽蔑を込めて用いられる。転じて一般的な職業名につなげて軽蔑・自嘲を込めた用いられかたをする場合がある。」

(中略)
「小売・サービス業種を指す場合、「八百屋さん」「魚屋さん」などのように「**屋さん」とすれば問題ないとされる。(ただし、「質屋」のように、法律(質屋営業法)上の用語として定義されているものもある)くず屋、バタ屋などはメディアでは廃品回収業、さらには「再生資源回収業」なる語に言い換えられている。」
==========

※差別語/放送禁止用語については以下のページも参照のこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AE%E5%88%A5%E7%94%A8%E8%AA%9E
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q109808945
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%91%89%E7%8B%A9%E3%82%8A
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%8D%E3%82%B9

差別語や放送禁止用語は「他者を差別する意味が含まれているから使うべきではない」という見解に基づいている。確かに、誰かを傷つけるためにつくられたことばは、使うべきではないと思う。

だが、
[1] 差別語を使わなければ、差別はなくなるのか
[2] 仮に、使った本人が意図していなくても、差別だと受け止められた場合、その表現を使うべきではないのか(「ことば狩り」の問題)
といった疑問が生じる。

差別語が差別語たるゆえんは、そのことばが「指し示す」対象となる人々(この場合、個人ではなく、必ず集団である)を貶めたり傷つけたりするからである。だとすれば、ある特定のことばを「差別語/放送禁止用語」として使うことを禁じたり忌避したりした場合、そのことばはすたれていく。しかしながら、そのことばが「指し示す」人々は変わらずに存在し、その人々に対する差別は残り続ける可能性がある。また、あることばを使わなくなったとしても、それに代わる他の言葉が使われることもある。

また、いわゆる「差別語/放送禁止用語」とされていないことばだとしても、そのことばが「差別的だ」とみなされた場合、そのことばを使うことを一律に禁じたり回避したりする必要はあるのであろうか。言い方を変えれば、どんなことばでも、使い方次第では「差別的だ」と受け止められる可能性はあるわけで、それを片っ端から「差別語/放送禁止用語」と決めていったら、どんなことばも使えなくなってしまう(これが「ことば狩り」の問題につながっていく)可能性がある。

あることばを一律に「差別語」とみなすことで、かえって差別の本質が隠されてしまうのではないか、「臭いものにふた」ということばがあるが、「クレームが来るのが嫌だから、とにかく使わなきゃいいんだ」と問題を先送りにしてお茶を濁しているだけではないのか。

そんなことを考えていたので、講演の後の質疑応答で、田中さんに「いわゆる〈差別語〉とされることばがあり、〈ことば狩り〉との問題が指摘されていますが、田中先生はどうお考えですか」という趣旨の質問をぶつけてみた。


田中さんは一言、「それは、ことばを使う人のセンスの問題ですね」と答えた。


この回答に100%満足できた、というわけではない。その時はそれ以上深く突っ込んで尋ねることはしなかったけれど、「センス」が何を示しているのかも漠然としか理解できていなかった。

この回答を「厳密ではない」と批判することもできたかもしれないし、ぼく自身はいま、ことばは「意味」ではなく「用法(ルール)」がすべてである、というヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論の立場を重視しているため、いまでもこの回答には釈然としないものがあるが、「センス」という観点は重要だと思う。

理詰めで厳密に考えても答えは出ない。むしろ、「センス(感覚・分別・良識・感性)」の問題として、その「センス」をどのように共有したり批判したりするかが重要なのではないか、ということなのだろうと解釈している(もっとも、「センス」という主観的要素にすべてを還元することが決して望ましいとも思えないのだが)。


さて、ことばの「センス」に関して言うと、どうも「お上」のつくることばには「センス」のかけらもないものが多いようだ。

==========
「GKB47宣言!」自殺対策で政府がキャッチフレーズ 「違和感ある」の声も
産経新聞 1月23日(月)16時39分配信

 自殺者数が14年連続3万人を超えるなか、政府が毎年3月に行う自殺対策強化月間のキャッチフレーズが、今年度は「あなたもGKB47宣言!」に決まった。23日に開かれた内閣府の自殺対策推進会議では、委員から「自殺対策としては違和感がある」と疑問の声が上がった。

 強化月間の今年度のテーマは「全員参加」。GKBは、「ゲートキーパーベーシック」の頭文字をつなげたもの。自殺対策では、悩んでいる人に気づいて声をかけ、必要な支援につなげる存在を「ゲートキーパー」と呼んでいる。「47」には、47都道府県を初め、国民に取り組みが広がることを示したものだが、人気アイドルグループ「AKB48」にひっかけているのは一目瞭然だ。

 ある委員は「ブームにあやかろうという意図はわからなくもないが、自殺対策は継続的に、地道に取り組むもの。キャッチフレーズは地味でも普遍性や本質を示すのが大事」と批判的。別の委員は「もっとあたたかな、現状を反映した言葉のほうが良いのではないか。似たようなキャンペーンはほかにもあり、埋没する恐れもある」と話す。

 今後、ポスターや広告などでこのフレーズが使われる予定で、内閣府の担当者は「全員参加というテーマにあわせ、広く国民に親身に訴えることができるということで決まった」と説明している。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120123-00000540-san-soci
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ぼくはAKB48は名前ぐらいしか知らず、メンバーの顔と名前も全く一致しないが、このグループの持つ、明るく元気はつらつとした健康的なイメージを自殺対策に援用することはまずできないし、すべきではないであろう。

自殺対策推進会議(このネーミングもどうかと思うが)の提唱する「GKB47」という名前からは、「ああ、死にたい…」と思っている人のところに、AKB48のようにかわいらしい女の子たちが集まって「そんなことしちゃダメだよ!」「前向きに生きていこうよ!」と応援する、という何とも間の抜けた構図しか思い浮かばないのだ。これでは自殺志願者から「大きなお世話だ!」「お前らに何がわかる!」と一括されてオシマイであろう。

そもそも、日本には江戸時代には「切腹」という風習があり、「命で償う」「命がけ」ということばもあるくらいなのだから、自殺を「罪」ととらえることは難しい。宗教で自殺が禁じられている文化でも自殺者は出るはずだし、語弊があるかもしれないが、自殺する人は、周囲が何を言おうとも結局はみずから死を選んでしまうものだ、と思っている。

もしぼくがこのプロジェクトで何かキャッチフレーズを作れ、と言われたらどうするであろうか、と考えた。

安直かもしれないが、


「命は、最後の切り札だ。」


とするだろう。そして、その下に


「みずから命を絶つという選択を、
 肯定することは決してできません。
 しかし、何か問題を抱えて、
 どうにもならなくなった時、
 命を絶つという選択をせざるをえない、
 ということもあるのかもしれません。

 でも、本当に、あなたが抱えている問題は、
 あなたの命を引き替えにするような問題なのでしょうか。


 命は、最後の切り札です。


 その切り札を切る以前に、
 何かできることがあるかもしれません。

 じぶん一人で抱え込むよりも、
 まずは相談してください。

 電話番号 (XX) XXX-XXXX 」


といったメッセージを書くであろう。

もし、若者に人気のあるキャラクターを使って若年層にアピールをするということであれば、アイドルグループではなく、たとえば『ONE PIECE』や『スラムダンク』のように、仲間に支えられながら、闘いを通じて成長していく物語を使うであろう。

AKB48に限らず、実在のアイドルグループは、ぼくたちの日常生活の闘いからの「逃避の場」であると言える。だから、アイドルが自殺防止を呼び掛けても、一時的な現実逃避を奨励しているようにしか受け止められない可能性がある(もちろん、アイドルはアイドルで毎日、奮闘努力しているであろうし、たとえば、自殺を考えたことがあったり、実行して未遂に終わったアイドルを使ってキャンペーンを張る、ということもありうるかもしれないが…)。

現実の生活の中で、人はどう闘うべきか。それを伝えられる「物語」を使うことが、大規模な自殺防止キャンペーンとしては適切だと思う(自殺志願者の個々の理由は千差万別だから、これがすべての人に有効だとは思わないが)。


大学の時、作家・エッセイストの朴慶南(パク・キョンナム)さん( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%85%B6%E5%8D%97 )の講演を聞いたことがある。その後、彼女の著作・『命さえ忘れなきゃ』 (シリーズ生きる)を読んだ。その中の「おっちょこちょいの忘れん坊で、あちこちにいろんなものを忘れてしまうことがあるけれど、命さえわすれなけりゃ何とかなるものよ」という趣旨のメッセージ。それ以来、ぼくは何かつらいことがあるたびに「命さえ忘れなきゃ」ということばを思い浮かべるようになった。

ぼくは、じぶんの授業を受けてくださった生徒さんがみずからの命を絶つような選択をしてほしいとは思わない。だから、ぼくにできることは、ほんのささやかではあるけれど、生徒さんがこの苦しい現実の中でどう生きていけばよいのか、それについて「こんな選択肢もあるよ」ということを授業の中で伝えていくことだと思う。それに、学ぶことそのものが、じぶんの生きる道を切り開く武器にもなるのだから、その武器を身に着けてほしいと願いながら、毎日の授業に臨んでいる。

格好をつけるつもりはない。それに、ぼくは根本的にだらしない人間なので、じぶんのこの無様な姿をさらけだし、悪戦苦闘する姿を見せながら、それでも生きているんだよ、ってことが伝えられればそれに越したことはないと思っている。


2012/01/24

How delicious!!

How delicious!!
How delicious!!
How delicious!!
今宵は「魚旦那」で魚祭り!!
( ´∀`)

マグロカルパッチョ!!

カワハギ刺身!!

マグロカマ焼き!!

美味し!!
(*^▽^*)

2012/01/23

She is a coward...

She is a coward...
今日の昼間、岡山ではほんの一瞬だけ、霰(あられ)が降った。

うちの犬は「バラバラバラバラ!!」という音におびえていたようだが、代わりに次男が喜んでいた(笑)。この写真はその時のものではないけれど、美形のおっとりしたお嬢様だ(笑)。

2012/01/22

How splendid!!

今日は、SESの生徒さんが出演するコンサートを見に岡山市民会館へ。

車で来たが、近隣の駐車場は軒並み満車(泣)。結局、少し離れた駐車場に止めざるを得なかったので、10分ほど遅刻してしまい、二階席から第一部を立ち見で1時間近く見た。

第一部がミュージカルで第二部が演奏、第三部がストーリー仕立ての歌とダンスなのだが、一部と二部の間に舞台装置の転換があるため、休憩が2時間半(爆)。

その間に遅い昼飯をとり、書店で買い物を済ませ、荷物を車に置きに行くついでに車を近くの駐車場に移動させようと思い、いったん駐車場から出したものの、どこも空きはなく、最終的に元の駐車場へ逆戻り(泣)。

とぼとぼ歩いて途中の駐車場を見ると「空車」の文字…(怒)。
(;`皿´)

タイミング悪すぎる…。
orz

まあ、歩いて運動になったと思えば良いか…。久しぶりに丸善で本も買えたし。

ふだんはたいていAmazonで済ませてしまうから、立ち読みしながら面白そうな本を選んで買うこともないけれど、こうして書店に来ると、ずらりと並んだ本を片っ端から買いたくなってしまう(笑)。読む暇もないのに(苦笑)。

とりあえず仕事に必要な洋書を4冊ほど購入した。


第二部からは二階席で見物。しかし、市民会館の椅子は狭い。座ったら尻が抜けなくなる(怒)。

…いや、ぼくの尻がデカすぎるのか(爆)。


肝心のコンサートだが、やはり圧巻は第三部だった。これは卒業公演も兼ねている、三年間の集大成。ぼくの生徒さんが受験勉強の合間に演出から振付まで担当して作り上げたステージだった。

それはそれはもう見事なもので、最後はぼくも感動してうるうるしてしまった。
(T_T)

終わったあと、この生徒さんと記念写真を撮ろうかと思ったが、生徒さんの顔が涙でどろどろのぐしゃぐしゃだったので、声だけかけて会場をあとにした(笑)。
(^◇^;)

素晴らしいステージをありがとう!!

2012/01/21

I wonder whether this is true or not!?

『BLOGOS(ブロゴス)- どう思う「子供の義賊」― 震災現場で何が起こったか?』( http://m.blogos.com/article/29764/ )という記事を読んだ。

その中の一節。

==========
然し、何と言っても衝撃的だったのは「子供義賊」の話だ

それによると、避難所の子供数人が無人の気仙沼信用金庫に行き、現金数千万円を持ち出し、そのお金を全て避難所にいる老人に配ったと言うのだ。これには、警察もどうしてよいか、ただオロオロするばかり。子供いわく「義援金が集まっても現地には1円もこない。悪い事とは判っていたが、こうするしかなかった。お爺さんお婆さんは涙を流し喜んでくれた」と。
==========

最初にこの記事を読んだときは、ただ単に「悪い行いではあるけれど、その〈気持ち〉は大切なことだなあ」「この子どもたちは、いったいどんな子どもなんだろう」と思い、半ば美談のように受け止めていた。

ただ、よくよく考えると、不自然な記述もある。

第一に、これほど大きな金額ならば、事件になったり、あるいはなにがしかのかたちで報じられているはずではないか、ということと、第二に、いくら極限状況でも、盗んだものとわかっている現金を果たして素直に喜んで受けとる人ばかりであったのか、ということである。

仮にじぶんがそうした現金を渡されたとしたら、気持ちはありがたいけれど、それは子どもたちを犯罪者にして、じぶんはまんまとその現金をせしめてまうことであるわけだし、じぶん自身もその犯罪に荷担したことになるわけだから、受け取れない、と言ったかもしれない。

どうにも腑に落ちないので少し調べたところ、以下のような記事を見つけた。

==========
被災の信金で4千万円盗難 気仙沼市、震災で倒壊店舗

 22日午前9時半ごろ、宮城県気仙沼市松崎片浜の気仙沼信用金庫松岩支店で、金庫室に保管していた現金4千万円が盗まれているのを職員が見つけ、110番した。

 県警によると、同支店は東日本大震災による津波で外壁などが損壊し、金庫室まで自由に出入りできる状態だった。金庫室のドアは電子ロックが壊れてかかっていなかったが、職員らは壊れていることに気付いていなかったという。

 19日午前に職員が金庫室の現金を確認しており、3連休中に盗まれたとみられる。22日朝に支店を片付けに来た男性職員が気付いた。県警は震災に乗じた窃盗事件として調べている。

 現場はJR松岩駅から約100メートルの住宅街だった地域。気仙沼市は22日昼までに490人の死亡が確認され、多くの建物が倒壊している。
【共同通信】
( http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011032201000698.html )
==========

これによると、気仙沼信用金庫で数千万円単位の盗難があったことは確かであったようだ。そしてこの犯人は逮捕されたということが http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%AE%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E3%83%BB%E5%95%8F%E9%A1%8C%E8%A1%8C%E7%82%BA に書かれていた。

「(気仙沼信用金庫・松岩支店の金庫からの盗難、約4000万円を含む)。逮捕者数は7人、合わせて40人が検挙された。」

もちろん、件の記事がこの松岩支店のことだとは限らない。だが、あまりに条件が符合しており、仮にこの松岩支店のことだとすると、結果的には逮捕されたわけで、「義賊」でもなんでもなく、単なる「盗難事件」として処理されたということになる。


たかだかこれだけの情報でその真偽を判断することは難しいが、これほどの「美談」ならば既にどこかで噂になっていてもおかしくはない。おそらく、出所不明の「デマ」のたぐいではないだろうか。


今から約40年前、ある女子高生の他愛もない冗談がきっかけで、豊川信用金庫が倒産するという噂が流れ、たちまち人々が預金をおろしに殺到し、取り付け騒ぎが起こるという事件があった。(豊川信用金庫事件: http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%B7%9D%E4%BF%A1%E7%94%A8%E9%87%91%E5%BA%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6 )

これは社会学で「意図せざる結果」や「予言の自己成就」の具体例としてよく使われるものだが、噂話に尾ひれが付き、さらにいくつかの偶然も重なって、有り得ない状況が成立してしまった希有な例である。

「子ども義賊」が真実かどうかはわからないが、この話が独り歩きすれば、場合によっては「困っている人がいたら、盗んで与えても良いのだ」という価値観が広まる可能性もあるし、刑法37条にある「緊急避難」と同列に扱われる可能性もある。

また、豊川信用金庫事件のように、噂話にさらに尾ひれがついて、より不正確な情報が広まってもおかしくはない。


これを書いた記者は「インパクト重視」の記事を書いてアクセス数を稼ごうとしたのかもしれないが、本来ならば「子ども義賊」が本当なのかどうかを確認する取材をすべきではないだろうか。これほどの金額の事件ならば、おそらくすぐに判明するはずだし、警察官がいたのであれば、警察署に尋ねることもできるはずだ。

記事の内容もさることながら、書いた意図も取材の姿勢も釈然としない記事だと思う。

2012/01/20

ガ━━━━(;゚д゚)━━━━━ン !!

はい、やらかしましたw

新年一発目の更新し忘れ…。

ヽ(`Д´)ノ ウ
.ヽ`Д´)  ワ
 (ヽ`Д)   ア
 (  ヽ`)    ァ
 (   ヽ     ァ
ヽ(   )ノ     ァ
.ヽ   )      ァ
 (ヽ  )       ァ
 (Д´ヽ)       ァ
 (`Д´ヽ        ァ
ヽ(`Д´)ノ        ン!!


〆切に追われてるので、ご勘弁を。

エライコッチャ!! ヾ(゚ロ゚*)ツ三ヾ(*゚ロ゚)ノ エライコッチャ!!

         。・ ゜。                   。゜。
       。・    ゜。               。゜   ・。
     。・        ゜。            。゜      ・。

   。・            ゜。        。゜         ・。

 。・                ゜。     。゜             ・。
 ・。                                     。・
∴                  ・(ノД`)・                 ∴

2012/01/18

For a change...

For a change...
For a change...
センター試験の変更点を受けて、それに対応した設問作りの依頼があった。これは、毎年、ぼくが加わっている某社の問題集のためのもので、今年も読解問題を数問作ることになった。

〆切は…

1月末…
Σ(°□°;)

まず、アイディアを出さねばならないが…、煮詰まってしまったので、気分転換(というより現実逃避w)に、寸胴鍋いっぱいにビーフシチューを作ったw
(^◇^;)

オージービーフのモモ肉を1.3kg、タマネギを6個、ニンジン6本、トマト缶詰2缶、市販のデミグラスソース、赤ワイン1本(750cc)などを使い、ひたすら煮込む。


肝心なのは、たっぷりのバター。コクと甘味ととろみがつく。

このシチューを、少し柔らかめに茹でたパスタとあえて食べると、激しく美味〜し!
(*^▽^*)

2012/01/17

A fundamental problem of the Center Exam...

本当は、Twitterで書こうかと思っていたが、いざ書き始めるとかなり長くなってしまったので、ここにまとめて掲載することにした。そのため、1~11まではTwitterの文字数に合わせた短いものだが、それ以降は文字数を無視して書いた。かなり辛辣なことを書いたと思うし、ぼくは現行の入試制度のもとでメシを食っているのだから、こんな批判をすべき立場ではない、とわかってはいるけれど、言うべきことはきちんと言わねばならない、と思う。

ぼくの主張は、いたってシンプルで、

(1) センター試験を廃止し、大学は、責任を持って一次も二次も独自の学力試験を作成すべき。
(2) 大学は、学習指導要領の枠組みにとらわれることなく、それぞれの大学が理想とする教育方針を掲げ、それに見合った入試を作成すべき。

というものである。

だが、いろいろ調べてみると、(1)や(2)を実現するためには、相当に大きな障壁が待ち構えている、ということに気が付いた。感情的に「センターなんて廃止してしまえ!」というのは簡単だけれど、問題は、センター試験そのものではなく、日本の社会が抱えている「官僚主導主義と天下りの容認」という、実に根深いものだったのだ。

==========
1.センター試験の前身・共通一次導入は1979年。当時は全ての大学にマークリーダーがあるはずもなく、共通一次でふるいにかける作業を行うことはやむを得なかったかもしれないし、基礎=共通一次、応用・思考力・発想=二次試験、という棲み分けが(タテマエとして)存在した。

2.共通一次導入前は、各国公立大学が独自に一次・二次の両試験を作成、採点していた。一次試験には記号選択式問題もあったが、マーク式ではなく、採点は全て手作業で労力がかかるし、当然、採点ミスもあったはずだから、採点ミスを減らす点でも共通一次には意義があったと言える。

3.センター試験になってから、そうした大義名分は全て消えた。マークリーダーはある程度金を出せば買えるし、私大や短大が参入した結果、問題の難易度も多様化させる必要が生じ、かつ、科目の組み合わせも多様化した結果、センター試験は結局「合否付きのマーク模試」になった。

4.そもそも入試問題とは、各大学が責任を持って受験生を選別し、大学の主張を受験生に伝えるメディアである。設問を通じて受験生はその大学が要求する知的水準を把握し、それに向けて勉強する。だから、一次試験といえども各大学が責任を持って作成するのが筋である。

5.入試を二段階に分ける必然性はないし、センター試験を課す必要性もない。一本化し、その中に基礎問題と応用問題を両方入れれば良いだけのこと。ただし、一つの大学を複数回受験する機会を与えたり、日程をズラして、受験生に選択の余地を与える配慮が必要だ。

6.にもかかわらずセンター試験を存続しようとするのであれば、文科省の天下り先の確保だと批判されても止むを得ない。センター試験という一本の物差しで学力を測ることに意味がなくはないが、その物差しが既に意味をなさなくなりつつある。

7.まして、年に一度しか実施しない試験でこれだけの設問ミスが発生しているのだから、その物差しじたいの信憑性も怪しくなる。英語の場合、1問1問はよく練られているが、いったいこれで受験生の何が測れるのか、疑問に思うような問題もある。

8.確かに、入試問題を作るには莫大な労力が必要だし、出題ミスのリスクもあるから、大学側が問題を作りたがらなくなるのも理解はできる。センター試験を課しておけば、とりあえずリスクは軽減されるし、手間も省ける。中には「自分の所で作るより良い問題だ」と言う教員もいるだろう。

9.大学の教員にとって入試問題作成業務は「余計な雑務」であり、教員はあまりやりたがらない、と聞いたことがある。だから、大学によっては予備校に入試問題を外注することもあったようだが、外注の場合、大学の要望は反映されるであろうが、センター試験はそうではないはずだ。

10.だとしたら、大学がセンター試験を利用するのは、単に「手抜き」としか言い様がない。まして、大学の意向が反映されていないセンター試験でその大学に入学する学生のどんな資質を測れるのか。それとも、センター試験を利用する大学はセンターに予め意向を伝えているのか。

11.既にセンター試験の存在意義は無きに等しいのに、なぜ国公立大学はセンター試験を使い続けるのか。いくつか理由は考えられる。一つは、前述したように、入試作問にかかわるリスクとコストを削減するためだ。

12.次に推測されるのが、文科省の天下り先である大学入試センターの意向に背くことにより、文科省からの運営費交付金等の援助を打ち切られるのではないかという恐怖心ではないだろうか。

13.国立大学は、名目上は「独立」行政法人である。とはいえ、国立大学も文科省の出向先や天下り先となっているため、実質的には文科省からの行政指導が強化されているに等しく、仮にセンター試験を利用しない等と言い出せば何らかの制裁が加えられる虞がある。

14.これは、私立大学も同じことだ。全てというわけではないが、一部の私大は文科省をはじめとする国家公務員の天下り先となっている( http://www.mynewsjapan.com/reports/1140 )。仮にこれを受け入れなければ、文科省からの助成金が削減される可能性もある。

15.つまり、センター試験という無意味な試験を平然と存続しているのは、文科省をはじめとする官僚が自らの天下り先を確保し、そこに金が流れ込む仕組みを維持するためであり、それに各大学が加担しているのだ。その点、今年からセンター試験利用をやめた慶應義塾大学は、まだ立派だと思う。

16.センター試験の背後にあるからくりを見つめると、日本の社会に強く根ざしている官僚支配の構造が見事に浮かび上がる。文科省(を含む官僚)がみずからに都合の良い絵を描き、大学がそれに追従している様子がうかがえるのだ。

17.だから、センター試験を廃止し、大学入試センターを解体することなど、誰も言い出しはしない。少なくとも、大学からは言えないであろうし、民主党が一時期馬鹿みたいに騒いでいた「事業仕訳」も所詮は人気取りのパフォーマンスであって、結局、大学入試センターのあり方にメスを入れることすらできなかった。

18.根本的な問題は、日本の教育制度は、実は、明治政府樹立以降からずっと、国家のために奉仕する「愚民」を育成するために存在しているということだ(ちなみに、明治時代から日本の教育カリキュラムの内容はほとんど変わっていない。『学制百年史』を見れば、明治時代の時間割と今の時間割にはほとんど差がないことがわかる*1)。だから、国としては国民に余計な知恵をつけてほしくはない。国民が本当に賢くなられて困るのは、ほかならぬ教育を支配する側なのだから。

19.そこで、「学習指導要領」などという決まった枠組みを押し付け、養鶏場でブロイラーを育てるかの如く、統一した企画内の「国民(愚民)」を生産する。大学も、自由な学問の府であると標榜してはいるものの、結局はその養鶏場の一部に過ぎず、大学入試センター試験は立派なブロイラーであることを検査するための検査場に他ならないのだ。

*1 http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198101/hpbz198101_2_059.html にある「明治19年の尋常中学校の学科目別週間教授時数」を見ると、科目は「倫理・国語及び漢文・第一外国語・第二外国語もしくは農業・地理・歴史・数学・博物・物理・化学・習字・図面・唱歌・体操」となっている。明治27年には第二外国語と農業が削除された。その後、明治34年には「修身、国語および漢文、外国語、歴史、地理、数学、博物、物理及化学、法制および経済、図画、唱歌、体操とした。外国語は英語、独語または仏語とし、法制および経済、唱歌は当分これを欠くことができるとした」とあり、現在の時間割の枠組みとほぼ変わらないものとなっている。

2012/01/16

Pictures of yesterday's live...

昨日の「このま」でのライブ写真。

PAと司会担当の、しまこくたんさんが撮影して下さったもの。

「このま」はとても綺麗なカフェで、音の反響も適度で良かった。

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今日は、創志学園の授業ののち、ネットカフェにこもってひたすらあれこれ原稿と格闘(ちなみに今もネットカフェw)。今週は秀英予備校の授業がないので、ずっと岡山で原稿書きと、創志学園、そしてSESの授業の予定。

2012/01/15

A live in "Konoma"...

朝、10時半にNARU、ゲーチャとともにSESの教室に集合し、ライブの練習。

本当はスタジオかカラオケボックスでと思ったが、こんなに朝早くから開いているところもなく、かといって男3人でラブホテルに行くわけにもいかないので(苦笑)、結局、うちの教室で音合わせをすることにした。

12時まで練習し、片付けて児島の「このま」に向かう。着いたら腹ごしらえをしてリハーサル。今回は、弾き語りのソロが2人とSee Ya!の合計3組だった。

今回のライブでは、Roland社のGR-55というギターシンセを初めて使った。たいてい、シンセサイザーは鍵盤楽器だが、GR-55は、ギターに特殊なピックアップ(音を拾うマイク)をつけて、ギターの振動をシンセの信号に変換することで、ギターからシンセサイザーの音が出せる優れものだ。

だから、ギターなのにピアノやストリングスやパーカッションの音も出せるし、ギターの音色にシンセの音色を重ねることもできる。

See Ya!はメンバーが多いから、なかなか全員そろってのライブができず、ボーカル2人とギターという最小の編成で演奏をすることも多い。その場合、通常は6弦のエレアコを使うが、曲によってはガットギターや12弦ギターを使わねばならないこともある。

だが、ギターを変えても、何曲も演奏するうちに音が単調になるし、原曲に比べると音の厚みが少ないから物足りない。

そこで、このGR-55を購入した。

まだ操作や音のクセに慣れていないが、今日、実際に使ってみたら好評だったようで、終わったあと、お客さん(楽器好きの皆様)が集まり興味津々。ぼくはまるでRolandの回し者のようにGR-55の良さを説明した(笑)。
(^^;)

次は2月11日(土)・12日(日)の、村上啓介さんの前座でこれを使うことになる。それまでにもっと習熟し、レパートリーを増やさねば。
(^^;)

というわけで、肝心のライブレポはそっちのけでGR-55の宣伝のようになってしまったが(笑)、ライブそのものは、お客さんの反応からすると悪くはなかったと思う(苦笑)。

ただ、久しぶりのライブで指がなかなか動かず、練習不足を痛感した…(泣)。
(T△T)

というわけで、ご来場いただいた皆様、PA兼司会の「しまこくたん」さん、出演者の皆様、そして「このま」の皆様、ありがとうございました!
(*^▽^*)

Shame on you!

人間、誰しもミスはする。

些細なミスを声高に責め立てたところで何も始まらないし、いったい何様だ、と言われてしまうかもしれない。

ましてや、長い人生の中で、大学入試なんて所詮は通過点に過ぎないのだから、あとからすれば笑い話で終わるかもしれない。

だが、いくら何でも今年のミスはあまりにもひどすぎる。ましてや、それが予見できたはずのミスであれば尚更だ。


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【社会】センター試験、気仙沼高で2時間遅れ 再生機送り忘れ
2012年1月15日 00時42分

 大学入試センター試験は14日、「地理歴史、公民」「国語」「外国語」の3教科を終えた。東日本大震災の影響で臨時試験場となった宮城県気仙沼市の気仙沼高校で英語リスニング試験が2時間遅れたほか、中部地方など各地で試験方法の変更による遅れが多発。トラブル続きの初日となった。

 センターによると、気仙沼高校で午後5時10分開始のリスニングに使うICプレーヤーが39個しか届いていないことが判明。試験を実施する東北大学(仙台市)が必要分を届けたが、202人の試験開始が2時間遅れた。従来の会場は宮城県石巻市の大学だが、震災で交通手段が途絶えたままのため、気仙沼高が臨時試験場となった。

 リスニングでは全国各地でICプレーヤーの不具合を訴える受験生が続出。155人が機器を取り換えて試験を受けた。

 また、全国709試験場のうち少なくとも39カ所で、問題冊子の配布が遅れたり、注意事項の説明に手間取ったため、「地歴、公民」の試験を最大46分繰り下げ、3300人に影響が出た。鉄道の遅れや悪天候以外による繰り下げとしては過去最大規模。

 昨年まで地歴6科目と公民3科目は試験時間が分かれていたが、今年から地歴、公民を1つにして計10科目から最大2科目を選ぶ方式に変更。受験教科は事前に登録するが、問題冊子が地歴か公民の1冊だけの受験生と2冊の受験生が併存することに。大幅な変更が遅れにつながった。

 志願者は昨年より3447人少ない55万5537人。15日は理科と数学がある。


◇中部でも相次ぐ

 中部地方でも、試験時間の遅れがあった。愛知県では名古屋工業大(名古屋市)や豊橋技術科学大(豊橋市)で一部の試験問題の配布に時間がかかり、それぞれ計50人を対象に試験時間を10分繰り下げた。

 三重大の試験場でも問題冊子の配布ミスがあり、「地理歴史、公民」の終了を1時間延ばした。影響があった受験生は117人。長野県内でも、携帯電話の不正使用禁止を呼びかける説明が長引き、信州大と県短期大で最大10分遅れた。
( http://www.chunichi.co.jp/s/article/2012011490224750.html )
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ただでさえ去年の震災で辛い目に遭い、大きなハンデを背負わされた被災地の受験生に対して、この仕打ちは許されざるものだ。

おそらく、遠方からの受験生もいたであろう。初日が終わったら早く帰って二日目に備えなければならないのに、2時間も待たされた受験生があまりにも不憫でならない。

気仙沼高校にICプレイヤーが届かなかった経緯について、別の記事では次のように書かれていた。

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臨時会場の気仙沼高 ICプレーヤー届かず、2時間遅れ

 東日本大震災の影響で大学入試センター試験の臨時会場となった宮城県気仙沼市の気仙沼高校で14日、英語のリスニングテストに使用するICプレーヤー200台が事前に届いておらず、試験開始が約2時間遅れるトラブルがあった。

 会場を管轄する東北大によると、東北大と気仙沼高の2会場用の計2950台のプレーヤーが大学入試センターから東北大に10日、到着。職員が2会場分に仕分ける際、気仙沼高用とするはずの239台のうち200台を、誤って東北大分に含めてしまった。

 そのまま気付かず12日午前、39台だけを気仙沼高へ発送。プレーヤーは施錠した金属製の箱に入っており、現地の職員は中身を確認しなかった。14日午後4時ごろ、準備作業中の職員が不足に気付きセンターに報告。急きょ200台を仙台市内の東北大から発送。気仙沼までは約100キロあり、約2時間半かかって7時すぎに到着した。

 東北大の試験実施本部は「受験生に心配をかけ申し訳ない。原因を検証し再発防止に努める」とのコメントを発表した。
[ 2012年1月14日 22:35 ]
( http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/01/14/kiji/K20120114002432980.html )
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原因は、単純な確認ミスが重なったことによるものである。これは明らかに、仕分けをした東北大学の職員に責任があるし、試験会場の職員も、もっと早く確認しておけばもっと早く手配できたはずだ。

上の記事には、

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東北大の試験実施本部は「受験生に心配をかけ申し訳ない。原因を検証し再発防止に努める」とのコメントを発表した。
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とあるが、本当に申し訳ないと思うなら、東北大学が大学入試センターに掛け合って、気仙沼高校会場の受験生に特別に点数を加算する措置をとってもいい位である。

得点加算が無理なら(まあ、間違いなく無理なのだが…)、せめて大学入試センターに掛け合って、来週行われる追試験の受験資格を与えられるようにするべきではないか。

頭を下げれば済む話ではない。「再発防止」などとヌルいことを言っているが、この受験生たちには「次」はないのだ(もちろん、結果的に浪人するということはあるにしても、それはあくまでも結果に過ぎない。受験生は皆、合格するつもりでこの一度の試験に賭けているのだ)。

だが、この件について大学職員だけを責めるのは誤りだ。そもそも発送元である大学入試センターが、初めから会場別に箱を分けて送っておけばこのようなミスは生じなかったはずであり、その意味では大学入試センターにも大きな責任がある。

現場が混乱することは毎年の様子でわかっているはずなのに、たかだか709の会場の荷物すらあらかじめ仕分けできないのであれば、大学入試センターは怠慢の謗りを免れることはできない。

また、根本的に、一人一人にICプレイヤーを使用させるということじたいに問題がある。TOEICなどはそんなものを使わずにラジカセ(のように教室に一斉に放送を流す機械)を使ってリスニング試験を行っているのだから、ICプレイヤーなど使わなくてもリスニング試験はできるはずだ。

案の定、今回も155台の不具合が出た。五十数万台のうちの155台だから、仮に55万台としたら、単純計算では0.028%。中には、実際には不具合ではなく、単なる勘違いのものもあったかもしれないし、一般の機械の欠陥率からすれば妥当なものかもしれないが、受験生はICプレイヤーの実験台ではないのだ。

そもそも、ICプレイヤーが導入されたのは、リスニングの試験が公平かつ厳密に行われるため(というタテマエ)のはずであり、ラジカセでは聞こえないといけないからという理由だったと思うのだが、ここまで毎年トラブルが続出する機械を使い続ける理由は何なのか。

本当は、機械を作る業者と、文科省の天下り先である大学入試センター( http://www.taro.org/2009/05/post-564.php とか http://blog.goo.ne.jp/warabidaniyuukoku/e/15d862958cd72180d47f19b9a1977c33 )が癒着してオイシイ思いをするためではないのか、と勘ぐりたくもなる(というより、実際、そうであるという指摘もある http://blog.goo.ne.jp/warabidaniyuukoku/e/84498498c3466641e0b8a0502d70724c )。

大幅に譲歩し、別に文科省の天下り先でも、企業と癒着していようとも構わない、としよう。

だが、受験生からは「受験料」という名目で高い金を巻き上げているのだ。金を貰っている以上、せめて、プロとしての仕事を見せねばならない。ミスへの対応も含めて、である。

以前、コンビニで買ったおにぎりに異物が混入していた時、製造元に知らせたら担当者が菓子折りを持ってすっ飛んできた。

ICプレイヤーを作る会社も、大学入試センターも、せめてそれくらいの誠意ある対応をしてもらいたい。

また、上の記事にもあったが、今年は選択科目で試験方法に変更があり、配布ミスが相次いだ。

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時事ドットコム:試験方法変更で手間取る=問題配布忘れ、説明に時間−センター試験

 センター試験の初日、「地理歴史」と「公民」の開始時間を39会場で10〜46分繰り下げた背景には、今年度から試験方法が変更されたことがあった。対象受験者数は3348人。大学入試センターによると、交通機関の遅れ以外で、これほど多くの受験者に影響が出た例はないという。

 同センターは、今年度から「地理歴史」「公民」の2教科10科目の中から2科目を選択した場合、1試験時間(130分)で実施する方法に変更した。2科目受験者には、1科目目の試験開始前に2科目分の問題用紙を配るべきだったが、試験監督が1科目分しか配布していなかったり、事前の説明に予想以上の時間を割いてしまったりしたという。同センターは、一部は試験監督の勘違いが原因だったとした。(2012/01/15-00:44)
( http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012011500006 )
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配布ミスのため、下のような事態まで生じた。

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センター試験問題配布ミスで解答書き直し

 大分県立看護科学大(大分市)で14日行われた大学入試センター試験の地理歴史と公民で、試験官が問題冊子の配布をミスし、受験生2人に新たな解答用紙に答えを書き直させるトラブルがあった。

 同大によると、地理歴史と公民の試験では、開始前に2科目分の問題冊子を配布しなければならなかった。ところが、同大の試験官は試験の前半で地理歴史の問題冊子と「第1解答科目」の解答用紙、後半で公民の問題冊子と「第2解答科目」の解答用紙をそれぞれ配布。

 受験生2人は公民を第1解答科目に希望していたことから、試験終了後、新たな解答用紙に答えを書き直し、午後の国語の試験を20分遅れて受験した。

 同大によると、大学によって第1解答科目と第2解答科目の配点が異なる例もあるという。(共同)
[2012年1月14日23時19分]
( http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20120114-889659.html )
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これらの配布ミスも、事前に混乱は予測されていた。

おそらく、大学入試センターはマニュアルを作成していたであろうが、これほどトラブルがあったということは、はっきり言って「失敗」以外のなにものでもない。

過去にも数々の人的ミスによるトラブルはあったが、それについて、大学入試センターや大学関係者が処分を受けた、という話はついぞ聞いたことがない。

大人がこれでは、若い子を叱ることなんざできやしない。

昨年の「Yahoo!知恵袋カンニング事件」があったために、今年はカンニング対策に力を入れたが、その結果、説明に手間取り、試験時間を繰り下げた会場もあった。本末転倒もいいところだ。

カンニングや不正は断じて許されるものではないが、それを取り締まるべき立場にある大学関係者や大学入試センターがこのお粗末さでは、何を言っても説得力に欠ける。


18,000円×550,000人=9,900,000,000円

センター試験1回で、実に100億円近い金が動く。だが、その内訳は不透明だ。

きちんとした仕事をしていれば、誰も文句は言わない。だが、予測可能なミスを頻発し、前途ある若い人々の足を引っ張る真似だけは許せない。主催者側からすれば55万分の1かもしれないが、受験生は一人一人がじぶんの人生を切り開くために躍起になって闘っているのだから。

「大学入試は通過点に過ぎない」とぼくは言っているが、それはあくまでもあとから振り返った場合であり、その渦中にいる当人にとっては、人生の一大イベントなのだ。

大学入試センターよ、迷惑をかけたすべての若者に謝罪し、大人としての責任を取れ。原因を追究し、担当者に適正な処分を下し、その結果を公表せよ。さもなくば、解体してしまえ。

I had a dream.

夢を見た。


ぼくと、母と、亡き祖母が、三人で炬燵を囲んで食事をしていた。

そこがどこだかはよくわからない。ただ、その後ぼくは、車で祖母をどこかに送っていくことになっていた。

祖母にせがまれて、ぼくはレタスの炒め物を作ることになった。

それを作るために台所に向かい、生姜を微塵切りにし始めた。だが、気付いたら、途中から茄子を薄切りにし始めていた。


そこで目が覚めた。

不思議な夢だった。


これが、ぼくの抑圧された無意識下にある何を象徴しているのかは解らない。


ただ、一つ言えるのは、祖母に会いたくてたまらない、ということなのかな、と思う。

考えたら、ぼくが祖母に料理を作ってあげたことはほとんどなかったし、ぼくが運転する車に祖母を乗せてどこかに行った、という経験もない。そうしてあげたかったな、という満たされぬ願望だったかもしれない。


さ、また寝るか…。

2012/01/14

2012年度センター試験:英語【筆記】解答・解説

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※誤植を訂正しました(2012年1月15日)。

ご意見・ご感想、お気づきの点などございましたらコメント欄にお書きください。

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▼第1問
A問題:【発音】全体的に標準的で、やや易しい問題。
問1 ④
→④のみ[u:]。あとは[ju:]。
問2 ④
→④のみ[i:]。あとは[e]。
問3 ③
→③のみ黙字(発音しない)。あとは[f]。
問4 ④
→④のみ[s]。あとは[k]。


B問題:【アクセント】全体的に標準的な問題。
問1 ①
→見出し語は第1音節にアクセント。
問2 ④
→見出し語は第2音節にアクセント。①と③は第1音節、②は第3音節にそれぞれアクセント。
問3 ④
→見出し語は第2音節にアクセント。①は第1音節(又は第3音節・第4音節)、②と③は第3音節にそれぞれアクセント。


▼第2問
A問題:【文法・語法・語彙空所補充問題】語彙の知識を問う問題が多く、また、問9のようにやや変則的なかたちの文も出されているため、2011年と比べると若干難しい。
問1 ③
→「~を取り入れる」。
訳:一部の企業は、社内公用語として英語を使うという新しい方針を取り入れてきた。
問2 ①
→「~に応じて/~に従って」を表す独立分詞構文。
訳:誰が電話をしてきたかに応じて、携帯電話を違うやり方で鳴らす方法を教えてくれませんか。
問3 ①
→時を表す副詞節中なので、未来のことを現在時制単純形で表現する。
訳:ベルさんは交通渋滞で足止めを食らっている。重要な会議は彼女が到着するときまでには終わってしまうであろう。
問4 ②
→〈have ~ on=~のスイッチをつける〉。
訳:私たちは、電子レンジとトースターとヒーターをすべて同時につけたら、ブレーカーが落ちた。
問5 ④
→「垂直の」
訳:ブラウンさんは崖の上から覗き込み、じぶんが垂直な急斜面の淵に立っていることが分かった。
問6 ①
→〈on the condition that S + V~=SがV~という条件で〉
訳:先生からの推薦状があるという条件で、この留学プログラムに申し込めます。
問7 ②
→twins(双子)なのでeitherかneitherにする。また、haven't metと否定文なのでneitherは不可。よってeitherが正解。
訳:「ダイキの妹(姉)は双子だと聞いたよ。彼女たちにあったことある?」「いや、二人のうちどちらにもまだ会ったことがない。」
問8 ①
→〈let + O + 原形~=Oに~させる〉
訳:君の個人的な感情が、その重要な決断を下す邪魔になってはいけない。
問9 ①
→withの後にあった名詞が関係代名詞目的格となって前に出ている。ところが、hadの主語も抜けているため、The one [ 16 ] had chat withとなる。よって、[ 16 ]にはhadの主語となるIを入れる。
訳:「どっちの女の子が詩織?」「ちょっと前に私がおしゃべりしていた方。」
問10 ④
→〈carry out~=~を実行する/遂行する〉
訳:その旅行代理店に入ったあと、彼は自分の業務をより効率的に行うために、英語の能力を磨こうと一生懸命勉強した。


B問題:【会話文空所補充問題】標準的~やや易しめ。
問1 ③
→「1時間待てますか?」「いえ、実はいまシャワーを浴びる必要があります。」
問2 ②
→二人とも彼女に道順を説明していなかったのだから、「彼女は道に迷ってあちこちさまよっているかもしれない」となる。
問3 ②
→パーティーの出欠の返事について「いま返事が必要?」「土曜日の夜まで待てるよ」となる。


C問題:【語句整序作文】すべての問題が5択に戻った。また、解答の空所の位置が2番目と5番目に変更。問題のレベルはやや易しめ。
問1 ③-[21:②]-④-①-[22:⑤]
→[And] I'm finding it easy to [use].
問2 ④-[23:⑤]-②-①-[24:③]
→[The entertainer was happily] singing with her arms raised [up in the air.]
問3 ②-[25:⑤]-①-④-[26:③]
→[Because he came down with the flu,] he was forced to stay at home [for a week.]


▼第3問
A問題:【語義推測】今回は2問とも、語ではなく句のかたちで出題された(ただし、問1=[27]は実質的にはobstinateという単語の意味を尋ねる問題であった)。[27]は易しめだが、[28]で誤って②を選んで受験生もかなりいたのではないだろうか。
問1 ④
→an obstinate personは「頑固な人」。such ~ that...のthat以下の内容から解ける。
問2 ①
→right as rainは「すっかり健康になって」。直前のセンテンスの「彼女はもうダンスの授業を再び受け始めたって聞いたよ」という内容から解ける。


B問題:【意見要約】「テレビが子どもに与える影響」について。例年、冒頭にあった司会者の発言がなくなった。問題は全体的に易しめ。
[29] ④
→Kenjiの意見は「テレビの見過ぎが幼い子どもに有害である→言語の発達を遅らせる」というもの。
[30] ④
→Takakoの意見はKenjiへの反論であり「親が視聴時間と内容をチェックしていれば子供にテレビを見させても構わない」というもの。
[31] ③
→Hiroshiの意見は「子どもはテレビによって、(現実生活の中では学ぶ機会が必ずしもないような)善悪を学べる」というもの。


C問題:【空所補充】「アーモンドとピーナッツ」についての説明文。形式はこれまで通り。選択肢にも紛らわしいものはなく、素直に解ける平易な問題。

[32] ④
→空所[32]の直前にあるIndeedは、(1)「実際(前の内容の具体的説明)」、(2)「実は(前の内容とは逆のこと)」、(3)「確かに(譲歩)」の3種類の意味がある。解き方としては、まず、[32]の1つ前のセンテンスを読み、「アーモンドとピーナッツが似た種類の食べ物であると思うでしょう」という内容を把握したうえで、[32]の1つ後のセンテンスを読み、「たとえば、それらは両者とも(both)…」という内容から、空所[32]には「共通点」を表す内容が入る、と考えて選択肢を探す。

[33] ③
→空所[33]のあるセンテンス(「第二に、アーモンドとピーナッツは[33]」)は、第3パラグラフの1文目であることから、この段落のトピックセンテンスだと判断し、[33]の次のセンテンスを読む。「アーモンドは中東生まれだ」とあることから、「アーモンドがどこを起源としているのか」が述べられているのかがわかるが、「ピーナッツ」については書かれていない。そこで、ピーナッツの記述を探すと、第4センテンスに「しかしながら、ピーナッツは最初に南米で栽培され」と書かれているので、「アーモンドとピーナッツの発祥の地が違う」という内容が[33]に入ると考えて選択肢を選ぶ。

[34] ①
→空所[34]のあるセンテンスは「結論として、私たちがミックスナッツとして知っている製品は、実は[34]」となっており、この文章全体の結論だとわかる。ついでにその後のセンテンスを読むと、「アーモンドとピーナッツは、非常に似通っているにもかかわらず、大きく異なる植物だ」と書かれているので、この二つが「違うものだ」と述べている選択肢を選ぶ。


▼第4問
A問題:【グラフ・図表問題】テーマは「木材を乾燥させる方法について」で、今年は木材(ストローブマツ)のイラストと、屋内用の木材の水分含有量が季節によりどう変化するかを示したグラフの、2つのfigureが使われた。昨年の問題よりやや難しい。
問1 ③
→「冬と夏とでは、キャビネットの扉に使われる木材の木目の幅の違いはどれくらいか。」
→第3パラグラフ第3文には「冬は元の幅から2mm縮み、夏はもとの幅から3mm広がった」と書かれているので、冬から夏にかけて、合計で5mmの変化があったことになる。

問2 ④
→「グラフの中のどの線が色を塗った木材を示しているか。」
→第4パラグラフ第5文後半に「一方、乾燥炉で乾燥させた同じ家の木材の塗装されたものの水分含有量は8%のライン当たりで変化するだけである」とある。これは、Bのことを示している。さらに、第6文には「13%の水分含有量にまで自然乾燥させ、それから塗装された木材は、徐々に乾燥し続け、最終的には乾燥炉で乾燥させて塗装された木材とほぼ同じ水分のパーセンテージに達する」とあり、これはCを示している。

問3 ②
①「乾燥炉で乾かした木材は、後で空気中の湿度によって大きさを変化させることはない。」
→第3パラグラフ第1文に「乾燥させた後も、周りの空気の湿度の変化のせいで、大きさにわずかな変化がある」と書かれているので×。
②「炉で乾燥させた木材も自然乾燥させた木材もともに周囲の空気によって影響される。」
→第3パラグラフ第1文に「乾燥させた後も、周りの空気の湿度の変化のせいで、大きさにわずかな変化がある」と書かれているので○。
③「塗装された木材の水分量は変化しない。」
→第4パラグラフ第3文に「しかしながら、どんな塗装でも湿気の流れを完全にさえぎることはできない」と書かれているので×。
④「木材はそれを塗装することによって『乾燥される』ことができる。」
→第4パラグラフ第2文に塗装の目的が書かれているが、これは乾燥のためではなく「水分量の大きな変化を防ぐため」であるので×。


B問題:【広告問題】コンサートに関する広告。標準的な問題。
問1 ②
→「Seven Funky Rangersは2つのヒット曲で有名である」。
→本文2行目から3行目に書かれている"Don't Cry No More"と"Too Busy Living Life To The Full"がこれに該当する。

問2 ②
→価格表のすぐ下に「当日券の場合、上記価格に20ドル上乗せ」とあるので、②が正解。

問3 ③
①価格表の下の3つ目の注に「16歳未満はステージ前部に立ち入り禁止」とあるので×。
②価格表の下の5つ目の注に「一度に購入できるのは最大5枚」とあるので×。
③価格表の下の2つ目の注に「10歳から18歳は証明書があれば50%オフ(前売りに限る)」とあるので、正解。
④価格表の下の6つ目の注に「10%オフ」の文字はあるが、これは65歳以上の高齢者が前売り券を購入した場合なので×。


▼第5問:【イラスト説明問題】バンクーバーの大学に留学した学生が語った体験。前年度に比べてやや文章が長くなったが、前年度までは1人が1つのパラグラフだったのに対して、今年は複数のパラグラフに分かれたため、読みやすくなったともいえる。
問1 ①
→「KojiとYukaが楽しんだものは…」
→Kojiの第2パラグラフ第1文と、Yukaの第3パラグラフ第1文にあるとおり、二人ともまちの散策を楽しんだ。

問2 ②
→「Kojiは何について文句を言ったのか?」
→Kojiの第4パラグラフにあるとおり、「ホストファミリーが忙しすぎて、やり取りする十分な時間がなかった」と不満を述べている。

問3 ④
→「Yukaの批判は何か?」
→Yukaの第1パラグラフ第4文~第5文にあるとおり、「カナダのことをもっと学びたかった」。

問4 ④
①「Kojiは学校の施設についていい印象を持っている。」
→Kojiの第3パラグラフ後半には「コンピュータ室がいつも混雑していた」と不満を述べているので×。
②「Kojiは自分の英語はもっと上達すべき(したはず)だったのに、と思っている。」
→Kojiの第1パラグラフ第3文に「ぼくの英語は大いに上達した」と書かれているが、「もっと上達したはず」とはどこにも書かれていないので×。
③「Yukaは宿題の分量に否定的な印象を持っている。」
→宿題についてはYukaの第4パラグラフ第3文にあるが、宿題の「分量」に関する言及はない。
④「Yukaはホストファミリーの両親に対して肯定的な感情を持っている。」
→Yukaの第4パラグラフ第1文~第5文の内容を要約したものと言える。

問5 ②
→イラストは
①コンサート+船
→Yukaの第4パラグラフ第4文にはコンサートに行った記述があるが、船に乗ったのはKojiの第2パラグラフ第3文の内容なので×。
②バーベキュー+宿題
→Kojiの第4パラグラフ第5文で「Yukaのホストファミリーのところでバーベキューに行ったとき、Yukaがうらやましく感じた」とあることから、Yukaはバーベキューに参加していたと考える。また、Yukaの第4パラグラフ第3文で、ホストファミリーの父親が宿題を手伝ってくれたと書かれている。
③まちの散策+一人で食事
→まちの散策についてはYukaの第3パラグラフ第1文に書かれているが、一人で食事をしたのはKojiの第4パラグラフ第4文の内容なので×
④コンサート+一人で食事
→Yukaの第4パラグラフ第4文にはコンサートに行った記述があるが、一人で食事をしたのはKojiの第4パラグラフ第4文の内容なので×。


▼第6問:【長文読解内容一致問題】procrastination(ぐずぐずすること)という人間の性質についての説明文。昨年のrodents(げっ歯類)に引き続き、難度の高いキーワード(大半の受験生は知らない単語であり、かつ、センター試験に関して言えば、あらかじめ知っておく必要のない単語)を使い、本文からそのキーワードの内容を類推させるという形式の英文となった。設問は、昨年度は第6問までだったが、今年は第6問をB問題として独立させ、解答箇所を4つの空所にしたため、やや難度が上がったと思われる。ただし、形式は変わっていても、段落の要旨を問うという点ではこれまでの問題とあまり大差はない。設問は、問1がかなり紛らわしく、おそらく②を選んだ受験生が多かったのではないだろうか。


A問題
問1 ③
①「人々は不快な仕事を忘れない」
→段落(2)の第2文には「不快な仕事を先延ばしにする」と書かれているが、「忘れない」という内容は書かれていない。
②「自転車が大好きな人は速くタイヤを修理するようになる。」
→段落(2)の第6文では、「自転車が好きな人はパンクしたタイヤの修理を先延ばしにしないかもしれない」と書かれているが、「速く修理する」とは書かれていないので×。
③「人々は様々な仕事を楽しいと思う(人々が楽しいと思う仕事は様々だ)」
→段落(2)の第4文に「大切なのは、ある仕事が楽しいかどうかは、その人次第なのだということを覚えておくことだ」とある。つまり、同じ仕事でも楽しいと思う人もいれば不愉快だと思う人もおり、どんな仕事を楽しいと思うかは人により異なるということになる。よって、これが正解。
④「人々はメールを書くために仕事を延期する」
→メールの話は段落(2)の第4文目に書かれているが、これは「楽しい仕事だから先延ばしにしない」ことの具体例であり、「メールを書くために仕事を延期する」とは書かれていない。

問2 ②
①「能力に自信のない人は、仕事を早く始める」
→段落(3)の第2文には「成功の期待が低い人々は特定の仕事を始めるのを延期する傾向が高い」とあるので×。
②「自分の能力に適度な自信を持つ人々は、あまりぐずぐずしない」
→段落(3)の第3文には、「じぶんには美味くできると思っている人々は、きつい仕事を避けるよりも引き受ける傾向が高い」とあり、さらに4文目には「過信しすぎるとぐずぐずすることになる」とあるので、「適度な(reasonable)」自信がある人はぐずぐずしない、と言う意味だと解釈できる。
③「ある仕事をする人々の自信は、ぐずぐずすることと関係がない」
→段落(3)の第1文には「じぶんの能力に対して持っている自身の量も、ぐずぐずすることを関係がある」と書かれているので×。
④「カウンセラーの中には、じぶんたちのクライアントの自信を過剰に見積もる人がいる」
→段落(3)の4文目には「過信が、ぐずぐずすることにつながりかねない」とあるが、これは、カウンセラーがクライアント(カウンセリングを受けに来た人)の自信を過剰に見積もっているという話ではない。

問3 ①
①「年を取った人の方がより多くの自制心を示す傾向にある」
→段落(4)の第6文には「年を取るにつれて、仕事を最後の瞬間まで遅らせる傾向が低くなる」とあり仕事を遅らせなくなるということは自制心があるということなので、これが正解。
②「人は大抵、努力せずに自制心を行使する」
→段落(4)の第4文には「自制心、すなわち誘惑に耐え、ある計画にこだわる能力とは、私たちの多くが苦労して取り組んでいるものである」とあるので×。
③「自制心とは、招待を熱心に受け入れることだ」
→段落(4)の第3文では「プレゼンテーションの仕事に取り掛かる計画を立てていた夜にカラオケへの招待を受け入れるのは、一つの例かもしれない」とあり、これは第2文の「自制心が少ない人が仕事からたやすくて逃げてしまう」ことの具体例として使われているので、×。
④「若者は、進んで誘惑に耐える」
→段落(4)の第6文には、「年を取るにつれて、仕事を最後の瞬間まで遅らせる傾向が低くなる」=「年を取るにつれて自制心が強くなる」とあるため、×。

問4 ①
「多くの人々が、年を取ったときに備えて貯金をし始めるのが遅いのは[ 49 ]だからである、と段落(5)では主張している。」
①「老齢は時間的にあまりにも遠くに見える」
→段落(5)の第4文(報酬があまりに遠く離れているときには努力をすることの利益が見えにくい)~第5文(こういうわけで多くの人々は若いころ、老後に備えて貯金をしないのだ)に一致。
②「老齢までの時間の長さはさまざまである」
→段落(5)では「老齢までの時間の長さがさまざまである」とは述べておらず、第4文にあるように「遠く離れている」ので、×。
③「心配すべきことが他にある」
→段落(5)にはこのような記述はない。
④「ほとんど利益がないであろうから」
→段落(5)にはこのような記述はない。

問5 ④
「筆者の主な主張は…」
①「多くの人々はぐずぐずすることの4つの説明について同意する」
→段落(1)の最終文には「研究者はぐずぐずすることの背後にあるすべての理由に同意することはないが」とあるので×。
②「ぐずぐずする人々は、もはや怠けているとはみなされない」
→確かに、段落(1)の4文目に「ぐずぐずする人々は怠けていると従来みなされてきたが、研究によってこれが正しくないということが分かっている」とある。しかし、これは筆者の「主な主張」とは言えない。というのは、「怠けている」という内容が主題であるならば、その内容が繰り返し登場するはずであるが、この記述はここだけに限られており、また、正解の選択肢④の説明にもあるように、段落(1)の第5文の内容が段落(6)の最終文でも再度登場していることから、④の内容が筆者の主な主張であると言える。よって、②は×。
③「ぐずぐずすることが、私たちの社会では問題になってきた」
→「私たちの社会の問題になってきた」とは述べられていないので×。
④「私たちはその源を理解することで、ぐずぐずすることに対処できる」
→段落(1)の第5文には「ぐずぐずすることの根っこについて学ぶことによって、なぜ大半の人々がある程度そうしてしまうのかを私たちが理解する手助けになるし、また、私たち自身のぐずぐずすることを減らす手助けにもなる」と書かれている。また、段落(6)の最終文のbut以下にも「その問題の根っこを理解することによってしか自分にとって適切な方法を選ぶことはできない」と繰り返し書かれているので、これが筆者の主張だと言える。


B問題 
[51] ②
[52] ①
[53] ③
[54] ④

段落(1)の内容を読み、[51]が②(procrastinationという現象)だと決まる。次に、段落(2)は「仕事を楽しいと思うか不愉快と思うか」がテーマであることから、①の「仕事の魅力」が[52]に入る。

段落(5)は「努力の報酬が見えるまでの時間の長さ」が問題だったので、③の「将来の利益を実現するタイミング」が[53]に入る。よって、[54]には④の「ぐずぐずすることへの対処法」が入る。

2012/01/13

A pleasant surprise.

今日、創志学園高校の授業が終わって講師室に戻ると、広報課に電話があったとの知らせ。


「島根のサクラサクセス( http://www.sakusakura.jp/ )さんという個別指導塾の方からお電話がありました。山添先生のネット授業を見ている生徒さんに激励のメッセージをいただきたいとの事です」とのこと。


秀英予備校の「ネオ・スタディ」( http://www.neo-study.jp
)のことだ。これは、現在400校近くの塾で配信されていて、サクラサクセスさんでも受講してくださっている。このブログを見て、金曜日は創志学園に出講していることを知り、広報課に連絡を下さったようだ。


早速、折り返し電話をかけた。センター英語を受講してくださった生徒さんのうち、2人がぼくと直接話をしたいとのことだったので、あれやこれやお話しした。


普段、授業で話しているような内容や他愛も無い話ではあったけれど、少しでも、励みになれたら、それに勝る幸せはない。

The time has come!!

時が来たね。


いよいよ明日からセンター試験。早かったね…あっと言う間だった。


長い人生からすればセンター試験なんてほんの通過点にすぎない。その証拠に、周りにいる社会人に聞いてみればいい。「人生で一番苦労したことは何ですか?」と。


「センター試験です」なんて答える人はまずいないはずだ。


ぼくだって、じぶんがセンター試験を受けたのがどこだったかすら覚えちゃいない(笑)。逆に、何の準備もせず無謀にも受けた某国立大学の試験のほうが印象に残っている。ま、当然ながら不合格だったけれど(苦笑)。


そう、センター試験は、受験でも、そして人生でも、ひとつの通過点にすぎない。


だから、センター試験で燃え尽きたりしないように。


ここは、始まりであって終わりではないのだ。

おそらく、緊張するはずだ。だけど、誰だって緊張している。君だけじゃない。緊張はあたりまえのこと。緊張したってかまわないんだ。


ただし、焦ってはいけない。緊張するのと焦るのは違うことだ。緊張していても、落ち着けばいい。

試験開始と同時に、まずは天を仰ぎ、深呼吸をしよう。天を仰ぐというのは、上を見るということだ。だから、まちがっても左右をキョロキョロ見てはいけない。カンニングと間違えられて試験官から目を付けられるw


なお、この深呼吸で息を吐くときの心境は「やれやれ、こんなアホみたいな問題に付き合わなきゃならんのか…、しゃーないな、ま、いっちょ片づけちゃろか」という余裕ある気持ちが望ましい。だから、ため息をつく感じで「はぁー…俺様(あたし)にこんなしょーもないことをやらせるわけ!?オトナってホントにバカね」という嘆きの意味を込めて息を吐こう。


この時、間違ってもその嘆きを本当に口に出してはいけない。周りから一斉に注目された上に、試験官からも叱られるw

次に、全ページをざっと見て、問題の全体像を見渡すこと。この時、万が一「落丁・乱丁」などがあったら、鬼の首をとったかの勢いで試験官にクレームをつけよう。たぶん、宝くじで一等が当たるくらいの天文学的な確率のはずだから、そんな現象に出くわしたら末代まで自慢できるw


全体像を見渡すときに、前年度と形式や分量が同じかどうかを確認すること。いつも言っていることだが、センター試験は「形式は変わってあたりまえ」だと思った方がいい。形式が変わっていたら、「お!やっぱり変えやがったか!!ふん、小賢しい!!」と鼻で笑うこと。この時、間違ってもこのセリフを口に出してはいけない。厨二病だと思われてしまうw

全体像を見渡したら、大問毎の時間配分を考えて解き始めよう。


単純な知識を問う問題は、知ってりゃ2秒で答えが出るが、知らなきゃ20分考えても答えは出ない。知らないものはいくら考えても思い出せないのだ。


だから、知らない問題には涙を飲んで見切りをつけ、読解問題、会話文、語句整序問題で確実に得点しよう。


センター試験では、解答が必ず一つに絞られるようにどこかにヒントがある。それを探し、作問者の要求に答えてやればいいだけだ。


人間の作った問題に、同じ人間であるぼくらが答えられないはずはない。


センター試験は年に一度の大きな祭り、しかも、君が主役の祭りなのだから、思う存分楽しんできて欲しい。


全国で55万人の受験生が、同じ時間に同じ問題に向かって一斉に問題を解く。これほど規模の大きな試験は他に類を見ない。


これまで学んできたことを、解答用紙に全力でぶつけてくればいい。淡々と、軽やかに。


ぼくはこの一年、ひたすら「正しく読み、正しく考え、正しく解く」ことを徹底的に解いてきた。おこがましいかもしれないが、そのぼくと一緒に学んできたのだから、自信を持って受験に臨んで欲しい。

==========


「いいかおまえはおれの弟子なのだ


ちからのかぎり


そらいっぱいの


光でできたパイプオルガンを弾くがいい」

宮沢賢治『告別』

I'm ashamed of my ignorance.

恥ずかしながら、昨日、一つの言葉について学んだ。

「かきいれ時」

これを漢字にすると、次のどちらが正しいか?

1. 書き入れ時
2. 掻き入れ時


昨日の朝、新聞を読んでいたら、ある記事の中でこの言葉が使われていた。

考えたら、「かきいれ時」という言葉を漢字で見たのは初めてかもしれない。だから、その記事を読んで、ぼくは大いに違和感を感じたし、「まさか…誤植!?」とさえ思ったほどだ。

ググったらすんなり解決した。

正解は「1.書き入れ時」である。

理由は非常に単純明快で、稼ぎが多くて帳簿にたくさん「書き入れる」からとのこと。

へえ〜。
(°□°;)

2012/01/12

Looking forward to...

Looking forward to...
昨日は名古屋校舎でセンター直前講習。これで、秀英予備校でのぼくのセンター直前講習は終了。受講生ならびにスタッフの皆様、お疲れ様でした!

どの校舎でもたくさんの生徒さんが受講して下さった。みんな最後の追い込みに躍起になっていた。

センター試験はいよいよ明後日。

どんな問題が出るか楽しみだ。

2012/01/11

I regret to say that your future will be full of despair...

一昨日は成人の日だった。

全国各地で成人式が行われ、かつ、毎年恒例の…と言っては語弊があるが、「荒れた成人式」についても報道された。今年は、北海道釧路市と、沖縄県那覇市の報道を目にした。

Wikipedia( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E4%BA%BA%E5%BC%8F )によると、主なものとしては以下のような「荒れた成人式」があったようだ。

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1999年 - 宮城県仙台市で行われた成人式で、エジプト考古学者の吉村作治の講演の際、新成人のマナーのあまりの低劣さを実感してこう激怒したという。「これは新生児の祝いだ!!新成人ではない!!二度と成人式で講演しない!!」。
2000年 - 静岡県静岡市の小嶋善吉市長が式翌日の記者会見でやはりマナーの問題を指摘してこう発言したという。「成人としての名に恥じる成人式に税金を投入して続けるより、いっそ式そのものを打ち切りにするべきではないか」。だが、後述する通り呉服販売業界からは「業界の衰退にかかわる」などと抗議が相次ぎ、結局大幅縮小という形で継続となっている。
2001年
香川県高松市の成人式で新成人男性5人が増田昌三市長(当時)に向かってクラッカーを打つ事件や、高知県高知市の成人式で新成人の一部が橋本大二郎高知県知事(当時)に「帰れ、帰れ」コールをして橋本知事が「静かにしろ!出て行け!」と一喝したが、さらに新成人が「おまえが出て行け」と言い返す様子が全国で報道された。
沖縄県那覇市では新成人者の一部が例年市街地でどんちゃん騒ぎをする問題があった。このため2002年を最後に市主催の成人式を取り止め、校区ごとに分散開催する形をとっている。
2003年 - 兵庫県姫路市の成人式で、式典終了後に会場周辺の駐車場で、新成人の複数の集団が喧嘩となり、止めに入った兵庫県警姫路署の警察官2名にも暴力を加える事件が発生した。いずれの新成人も酒の臭いがしていたという。
2004年 - 静岡県伊東市の成人式で、新成人6人が式典を妨害する事件が起きた。
2006年 - 岩手県盛岡市の成人式で、新成人数人が暴れ、岩手県議会議員(当時)のザ・グレート・サスケと揉み合いになるなどした。
2010年
愛知県半田市の成人式で一部の傍若無人を振舞う新成人が羽織はかまの姿で日本と韓国の国旗を持ち出し、奇声を上げたり、銅像の上に乗ったり、クラッカーや打ち上げ花火、ジェット風船などを使用した。
福井県福井市では、新成人の一部が市職員や警備の警察官を殴るなどして逮捕される事件があった。
長崎県佐世保市では、新成人の一部の集団が、同市の朝長則男市長が講演していた壇上に上り、市長を扇子で叩こうとしたり、「誰もお前の話など聞いていない」などと野次を飛ばすなどした。関わった新成人はその後公務執行妨害容疑で逮捕された。
秋田県秋田市では、新成人の一部が、市長の祝辞が終わった直後に職員の制止を振り切ってステージ上に上がり、奇声をあげながら走りまわるなどして式の進行を妨害した。市長は警察に被害届を提出、騒動を起こした新成人たちは市長に謝罪に訪れたが被害届が取り下げられることはなく、26日に逮捕された。「目立ちたかった」と動機を語っている。
2011年
山口県下関市では、式典後のパーティーに出席していた新成人の一人が、日本刀の模造刀(殺傷能力は無し)を違法に所持していたとして、銃刀法違反容疑で逮捕された。
広島県呉市では、同市中央地区で行われていた式典に於いて、新成人代表のスピーチ中に、新成人の一部の集団がクラッカーを鳴らしたり、駐車場付近で飲酒していた新成人グループが、会場への入場を巡って同市職員と揉みあいになったりした。
愛知県豊田市では、豊田産業文化センターで実施されていた式典に於いて、新成人らで構成される実行委員会が、式典出席者らに対し、アダルトグッズやわいせつ内容のDVDなどを配布していたことが発覚する。また、これらのグッズの購入に際し、同市からの補助金が使われていたことも判明している。
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「荒れた成人式」があったまちをあらためて振り返ると、1つの市を除き、ある共通点が見えてくる。まず、以下のデータを見ていただきたい。

宮城県仙台市:1,052,039人(*1)
静岡県静岡市:714,322人(*1)
高知県高知市:339,877人(*1)
沖縄県那覇市:320,267人(*2)
兵庫県姫路市:536,446人(*1)
静岡県伊東市:70,972人(*1)
岩手県盛岡市:298,293人(*3)
愛知県半田市:119,842人(*4)
福井県福井市:269,118人(*1)
長崎県佐世保市:259,731人(*1)
秋田県秋田市:323,325人(*1)
山口県下関市:283,168人(*2)
広島県呉市:241,101人(*2)
愛知県豊田市:423,335人(*1)
北海道釧路市:183,622人(*2)

*1. 2011年12月1日現在
*2. 2011年11月末現在
*3. 2012年1月4日現在
*4. 2011年1月1日現在

この15の市のうち、宮城県仙台市を除けば人口100万人を超える都市はなく、9都市が24万~42万人の間に集中している。つまり、「荒れた成人式」が起こっているのは、中小規模の都市、それも人口30万人前後の都市が多い、ということだ。

例外的に人口100万人を越える宮城県仙台市の事件は1999年。これ以前にも同様に成人式でのトラブルはあったのかもしれない(成人式でのトラブルと言うよりも、成人式では話を聞かず、外に出て飲んで騒いで乱痴気騒ぎをする、というほうが多かったのかもしれない)が、ひとつ、考えられることとして、1999年にたまたま仙台で吉村作治氏を怒らせたことがマスコミで大々的に報じられた結果、それが地方都市に波及し、「成人式で騒ぐのがイケてる」と勘違いした新成人(の一部)が酒の勢いを借りてこうした騒ぎを引き起こしているのかもしれない。

乱暴な言い方かもしれないが、こうした騒ぎを引き起こすのは、
(1) 目立ちたがりで(有名人や市長にかみつけば目立てるという思惑が見え隠れする)
(2) 思慮の浅い(思想的背景があるわけでもなく、自分の行動に対する帰結を計算できない)
(3) 地方都市の「お山の大将」的存在(あるいは、「お山の大将」に命じられてやらされたパシリ)なのかもしれない。単純に「地元のヤンキー」と表現することもできるが。

人口100万人を越える大都市では、いくら目立とうとしても、あまりにも周りの人数が多すぎて目立ちようがなく、また、俗な言い方をすれば、そんな目立ち方をするのは「ダサい」という思惑も働くのであろう(だから、1999年の仙台での事件はきわめて例外的・偶発的なものだったと思われる)。以前、『SMA×SMA』という番組でSMAPの中居さんが扮する「マーボー」というキャラクターが登場したが、あのキャラクターはまさに「都会から見た、ダサダサのヤンキー像」のステレオタイプを描いたものだったが、大都会ではそうした「都会的な視点」があることにうすうす感づいているから、地方都市でこうした事件が起こるのかもしれない。

さて、新成人の皆さん、遅ればせながらおめでとう!

日本の未来は決して明るいものではなく、ぼくがふだん授業で話しているように、君たちの未来には「希望」はなく、「絶望」しか見えないかもしれない。

だが、それぞれの世代は、実のところ、じぶんたちの生き残りだけを考えて、じぶんの世代にとって都合の良い制度を作っているのであって、非常に申し訳ない言い方だが、ぼくの世代も、じぶんの世代の生き残りでいっぱいいっぱいなのだ。

たとえば、年金制度も、それを作ったときには優れた制度であったかもしれないが、それはあくまでも、その時代から未来を予測して「ま、たぶん、大丈夫なんじゃないの?」といった程度の甘い見通しに基づいて作られているのだ。原発にしても、それを作った世代は、じぶんたちの子孫がこんな風に苦しむことなんてさらさら考えてなどいなかったはずだ。なにしろ、それを作って、とりあえずじぶんたちの世代だけがいい思いをしていれば、じぶんたちが死んだあとでメルトダウンが起ころうが放射能汚染が起ころうが関係ないのだから。

だから、こんな絶望社会を生み出した上の世代(もちろん、ここにはぼくの世代も含まれている)をあてにしてはいけない。「上の世代が食べさせてくれるだろう」なんて甘い見通しを持ってはいけない。上の世代の連中は、とりあえず、じぶん(たちの世代)がどう生き残るかしか頭の中にはないわけで、「下の世代も養ってやろう」なんて気概はさらさらないのだ。

だからこそ、ぼくは、君たちに「希望」なんて語ることはできない。君たちは、君たちの力で、君たちのための「希望」を築いていかねばならないのだ。

本当に、申し訳ないけれど、ぼくには、君たちがじぶんの手で「希望」をつかむための、そのほんのささやかな「種」を渡すことぐらいしかできないのだ。

2012/01/10

They have always avoided assuming the responsibility...

They have always avoided assuming the responsibility...
ぼくは小学3年生から中学3年生まで7年間、剣道をやっていた。

剣道は年齢によって取得できる段位が限られていて、当時、中学生は初段までしかとれなかったため、ぼくは初段止まりだったが、いまは制度が改正されて、初段は「一級受有者 満13歳以上」、弐段は「初段受有後1年以上修業」なので、いまの制度下なら、ひょっとしたら弐段になっていたかもしれない。

剣道の主な技には、小手・面・胴・突きがあるが、突きは危険な技なので、中学生までは禁止されていて、高校生でも禁止される場合がある。

ぼくは有段者ではあるが、高校に入ってからは剣道を止めてしまったため、突き技ができない(だから、いまから剣道を再開しようとは思わない。もっとも、やりたくても、もう体も動かないだろうが(苦笑))。


ぼくは小児喘息を患っていたので、体を鍛えるために剣道を始めた。もっとも、運動が苦手だったから、親に言われてやらされた、と言うのが正しいだろうが(笑)。

父が警察官だったので、家の近くにある機動隊の道場で週に一度開かれている少年剣道教室に参加した。指導に当たるのは機動隊の猛者たちで、とても厳しくて怖かった。
ガクガクブルブル
((((;゜д゜)))

その機動隊は警察剣道で日本一になった選手も輩出していて、日本武道館まで試合を見に行ったこともある。

実を言うと、小学生の頃は、剣道に行くのが嫌で嫌で、剣道に行く時間になるとお腹が痛くなったりもした(だから、学校や仕事に行くのが嫌でお腹が痛くなる、という人の気持ちが良くわかる)。

だが、中学生になってからは、体も大きくなり筋力もついたので、剣道がさほど苦痛ではなくなった。運動神経は相変わらずあまり良くなかったが、筋力はついたし(当時は腕立て伏せ連続50回に腹筋100回位はできた。今は腕立て伏せ5回で倒れるかもしれない(爆))、精神面でも鍛えられた。なにしろ、幼いうちから機動隊員に容赦なく鍛えられたのだから(笑)。

中学2年生の時、通っていた中学校に剣道部ができたので、試しに一時期入部してみた。

驚いたのは、剣道の初心者とじぶんとの動きの違いである。

ぼくは道場の中では決して強い方ではなかったが、部活で剣道を始めて数ヶ月足らずの初心者の動きなどは止まって見えるほどだった。すばしっこい同学年の生徒と比べても、剣道に関してはじぶんの方がスムーズに動けるのだ。

これも、長期にわたって「型」が体に染みついたおかげなのであろう。それに、道場ではじぶんよりはるかに強い機動隊員が相手なのだから、ぼくより体格のいい同級生や先輩でも怖くも何ともない(笑)。


こんな話を思い出したのは、今朝、NHKのニュースで「武道の必修化」について報じられていたのを見たからだ。

そこでは「柔道・剣道・相撲のうち、あまり道具を必要としない柔道が一番人気があるが、柔道は、過去に部活や授業で数十名の死者が出ており、安全に指導するのが難しい」と報じられていた。

文部科学省の役人が「段階的な指導を安全に行えば良い」と話していたが、文部科学省の作成したカリキュラム案には柔道の専門家が見ても危険な「大外刈り」を低学年で指導することが書かれていて、その通りに行えば、怪我どころか死に至る可能性が高いのだ。

ただし、ぼくは「だから柔道をやめて剣道にすべきだ」と主張するつもりはない。剣道であれ、柔道であれ、相撲であれ、武道の「型」を身につけるにはかなりの時間が必要なのに、それをわずかな期間で、しかも、武道については素人の体育教師が生徒に習得させようということじたいに無理があるのだ、と言いたいのだ。

「武道を通じて精神修養を」と考えるむきもあろうが、精神修養をさせるのが目的であれば、何も武道にこだわる必要はない。生け花も茶道も精神修養になるのだから。

頭でっかちの役人が作った「机上の空論」で、子どもたちを危険な目に遭わせるべきではないし、これで仮に怪我人や死者が出れば、いったい誰が責任を取るのか。たぶん、学校や教師が訴えられて終わり、であろう。

もちろん、どんなスポーツであれ、怪我の危険はつきまとうし、下手をすれば死に至る。だから、取り立てて「柔道は危険だ」と騒ぎ立てるべきではない。

だが、過去に数十名の死者が出ているというの事実は決して看過できないし、武道を必修化するのであれば、国が責任を持って、指導者を育成・手配しなければ無責任である。

「カリキュラムだけ作ったから、あとは現場で」というのは、ていのいい逃げ口上だ。もっとも、これは体育に限らず、すべての科目に共通して言えることなのだが。

2012/01/09

It's the final countdown!!

It's the final countdown!!
…と言っても、シンセの印象的なイントロで有名な、ヨーロッパの名曲ではなく。


センター試験まであと5日。受験生は追い込み体制に入っている。

今日から3日間は、ぼくも秀英予備校でセンター試験対策の直前講習だ。

9日(月)…四日市校舎
10日(火)…浜松校舎
11日(水)…名古屋校舎


というわけで、各校舎の受講生並びにスタッフの皆様、よろしくお願いいたします!
m(_ _)m


宿泊はそれぞれの場所だが、よくよく考えたら、荷物を持っての移動が大変だから、ずっと名古屋に泊まっても良かったな…。
(´д`)


写真は、昨年末に買ったステッカー。1枚1,050円はちとお高いが、ま、エヴァだから仕方ないかwww


…ちなみに、6種類購入したが、それが何か?(火暴)

2012/01/08

I'm run out...

今日はSESの冬期授業やら10日〆切の原稿やら何やらで朝からSESに缶詰め。
orz

まだ1食しか食べてない…。

パトラッシュ、疲れたろう。
僕も疲れたんだ…

  /⌒⌒ヽ__
  ( ノ_w〉 <フ
  Y、_ノ人-)ヽ
  /|/(ヽ▼_ノミ
 |  \二ノノ

2012/01/07

【急告】追加公演決定!!

2月11日に福山東教会で行われる村上啓介さんのソロライブ(前座:See Ya!)の追加公演が急遽決定!!


▼2月12日(日)
会場:ライブバーAjobe(アジョビ)・岡山市中央町


…で、我々、See Ya!の「おっさんキャンディーズ」こと罰当たり3人組(NARU・ゲーチャ・ZOTCHI)も、福山に引き続いて岡山でも前座を務めさせていただきます。
m(_ _)m

是非、ご来場を!!

I bought a secret weapon...(^o^)

昨年の夏、浜松の某楽器店で見かけて試奏した、とある機材。

(・∀・)イイ!!


欲しいと思ったが、なかなか踏ん切りがつかなかった。

昨年末に同じ楽器店を訪れたらまだ飾ってあり、また試奏した。

…やはり…


(・∀・)イイ!!


さんざん悩んだが、ライブも近づいていることだし、と思い、買ってしまった…。
(・_・;)

ただし、持って帰るのが面倒だったし(何しろ浜松のあと東京の実家に帰り、それから岡山に戻ることになっていたので)、送料などもろもろの事情を考慮して、Amazonで購入してしまったのだが…。


して、その機材とは…

(*´艸`)ウププ


その名も…


Ψ(`∀´)Ψウケケケケ

秘密兵器…

(°□°;)

ライブに来ればわかりますwww


  (´A`)つ☆ペチペチ
  と_⌒))
    (_ノノ

ε=ε=┏( ・_・)┛
ニゲロー!!

2012/01/06

Live Information

CHAGE&ASKAコピーバンド・See Ya!が出演するライブのお知らせです。

▼1月15日(日)
□会場:倉敷市児島「Cafe このま」
http://www.conoma.jp/
□時間:14:00~16:00
□入場無料(お茶代が別途必要)

→2012年初のライブ!今回は3組出演する中の1つとして、See Ya!アンプラグド(NARU・ゲーチャ・ZOTCHI)が登場します!


▼2月11日(土)
Saturday Church LIVE 特別版
『村上啓介 LIVE in 福山』
(オープニングアクト/See Ya!)
□会場:福山東教会
(広島県福山市東町1-2-8)
□開場18:30/開演19:00
□料金:2,000円
□お問い合わせ:福山東教会(084-922-3309)

→なんと!今回も村上啓介さんの前座として出演することになりました!しかも会場は聖なる場所・教会…。そこでNARU・ゲーチャ・ZOTCHIの罰当たり3人組が繰り広げるドタバタをお楽しみにwww

2012/01/05

It's important to rehearse.

11年ほど前に、『NHKのど自慢』に出場したことがある。

この番組は日曜日の昼間に行われるが、前日の土曜日に最終予選があり、それに合格した20組が日曜日の朝8時前に集合して、音合わせとリハーサルが行われる。12時15分から本番なのに、その4時間も前に集まるわけだ。

このリハーサルは、本番と全く同じことを通して行われる。当然ながら目の前にお客さんがいない状態だが、目の前にお客さんがいるつもりで本番と全く同じことを、時間を計りながら通して行うわけだ。もちろん、入場行進から立ち位置から振り付けまで、何から何まで本番と同じことが要求される。

しかし、それほど念入りにリハーサルを行っても、本番がリハーサル通りに行くとは限らない。わずかずつ時間が押してしまい、ぼくの場合、リハーサルではサビまで歌えたが、本番ではサビの直前で鐘が2つ鳴った(笑)。

ちなみに、この時に優勝したのが、去年大ブレイクし、今やあちこちの番組に引っ張りだこの荒牧陽子さんである。この時、彼女は妹さんと二人で出場し、絶妙なハーモニーで見事優勝、さらには全国大会まで出場した。
(^^;)


運動部ならば、試合や大会を想定したシミュレーションを行う。吹奏楽部ならば、演奏会の本番を想定したリハーサルを行う。これと同様に、受験生は、試験本番を想定した練習をしなければならない。

センター試験の場合、英語(筆記)の試験時間は80分。

これを80分一本勝負だととらえてはいけない。

マラソンでは複数のチェックポイントを通過した時刻を記録する。それと同様に、各大問をチェックポイントにみたて、それぞれを何分で通過しなければならないかを想定した練習を行う必要があるはずだ。

ただし、次の試験が前年度と同じ形式や分量だとは限らない。試験開始と同時に全ページをざっとチェックし(もちろん、乱丁・落丁もチェックし)、どこがどう変わったのか(または変わっていないのか)をチェックした上で、時間配分を決めること。

特に、後半の読解問題に十分な時間が割けるようにするために、前半の知識問題には余り時間をかけないこと。

過去問題や各社の出しているセンター対策問題集を使い、本番を想定した時間配分を考えて解く練習をすること。

また、時間配分を考える際には、試験時間全体を70分〜75分に短縮して考えよう。80分をまるまる使うことはできないし、マークする時間もかなりかかるはずだから。

「練習では駄目だけど、本番には強い」という人も中にはいるかもしれない。だが、そういう人はきわめてまれであり、大半の人は本番では緊張して普段の力が発揮できないはずだ。

仮に普段の力を100とすると、本番では良くてもせいぜい、70から80ぐらいしか力が出せずに終わってしまう。

では、本番で100の力を出すにはどうすればいいか。

答は簡単。

普段の力を150、200と上げて、緊張しても100の力になれば良いのだ。

「コロンブスの卵」のような答かもしれないが、間違ってはいないはずだ。

厳しいかもしれないが、「本番で緊張して力が出し切れなかった」と言うのは、言い換えれば、「本番で緊張しても合格ラインが取れるだけの力が元々無かった」と言うのに等しいのだ。

本番で緊張するのは、あたりまえ。だからこそ、緊張しないようにすることを考えるのではなく、緊張しても合格ラインが取れるだけの力を養うことに目を向けよう。

2012/01/04

It's better to do it promptly.

今日は授業が無かったので、たまっていた洗濯物を一気にコインランドリーで洗濯し、あとはネットカフェにこもってひたすら原稿。

10日に〆切のものが1本とメルマガと新学期の教材。

こりゃあ今年も自転車操業だな(苦笑)。

2月から3月にかけては授業が少なくなるから、その期間に一気に…といきたいが、少しでも時間のあるうちにコツコツと進めておかないとたぶん間に合わない…。
(^^;)

1月15日と2月11日のライブに向けた練習もしなけりゃならないが、新しい機材が明日到着するはずなので、とりあえずそれを待ってからになる…。
(´д`)

2012/01/03

Shave!!

今日からSESの冬期授業。今日は受験生が対象だったが、人数も少ないし、和気あいあいとのんびりした空気で授業は進んだ。

もちろん、緊張感はそれなりにあるが、追い詰めてさらに負荷をかけることで力が発揮できるタイプと、追い詰められるとかえって萎縮してしまうタイプの生徒さんがいるわけで、一人一人の個性を見極める必要があると思うのだ。

授業の後は岡山に戻って風呂。ずっとシャワーばかりだったので、2週間ぶりに湯船に浸かった。髭もだいぶ伸びたので、手入れができてさっぱりした。口髭と顎髭がつながって「カールおじさん」状態だったからなあwww

2012/01/02

For the first time in about two weeks...

For the first time in about two weeks...
初夢は、何を見たのか全く覚えていないが、きっと良い夢を見たんだろう。そうだ、そういうことにしておこう(笑)。
(^^;)

昼過ぎに実家を出て、子どもと一緒に岡山に戻る。車内で退屈しないように長男はナンクロ、次男は漫画、ぼくは原稿(苦笑)。昨年末は名古屋と浜松でずっと講習会だったので、約2週間ぶりの岡山だ。


明日からはSESの冬期授業。メルマガも発刊せねば。そして、今年は新たなメルマガを春から1〜2本発刊する予定だ。

一つは、語彙に関するもの、もう一つは、英語に限らず、勉強そのものに関するものだ。

2月下旬から順次発刊予定で、いまはその原稿を少しずつ書きためている。

今年も春からあわただしい…。
orz

2012/01/01

謹賀新年

新年、あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。


年が明けて変わったものもあれば、変わらないものもあります。

忘れてしまっても良いこともあれば、絶対に忘れてはならないこともあります。


2011年3月11日を境に、日本は「アノミー(無規範)状態」になりました。1995年1月17日の阪神淡路大震災の時にはまだ信じられていたものがもはや信じられなくなり、ぼくたちは本格的に「じぶんで判断して生きる」ことを余儀なくされています。

実のところ、この状態は3月11日以前にも既に存在していましたが、とりあえずそれに正面から向かい合わず、あとまわしにしてきたように思えます。それが、3月11日の大震災・津波・原発事故により逃げ道を塞がれて「じぶんで判断して生きる」という問題に否が応でも直面せざるを得なくなったのだと思います。

この問題は、まがりなりにも教育産業(ならびに公教育)に携わる人間であれば、避けては通れぬ問題のはずです。なにしろ、教育とはまさにこの「じぶんで判断して生きる」ための方法を伝えることにかかわるのですから。

だからこそ、今年は昨年以上に「じぶんで判断して生きる」ことについていっそう真剣に考えねばならないと思うのです。そうでなければ、生徒さんたちに伝えることなどできるはずがないのですから。

新年早々に重い話で恐縮ですが、いまの日本の窮状を鑑みると、正月だからと笑ってばかりもいられません。

どうか、今年もよろしくお願い申し上げます。

2012年 元日

       山添 玉基

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