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2011/07/09

A woman of great gentleness.

ぼくは、おばあちゃん子だ。

両親が共働きだったから、父方の祖母がぼくの世話をしてくれた。だから、ぼくには母親が二人いるようなものだった。一人っ子だから、なおさらかわいがられて育ったかもしれない。

母方の祖母も、別居ではあったけれど、ぼくを可愛がってくれた。終戦の2ヶ月前に夫(つまり、ぼくの祖父)を亡くし、以来、女手一つで4人の子どもを育てあげた気丈な祖母だった。

ぼくが小学生の時、母方の祖母の家に一人で泊まりに行った。祖母はたいそう喜んで、「たまちゃん、テキ食べるか」と言って近くのスーパーでステーキ用の牛肉を買ってきて焼いてくれた。ただ、残念ながらその夜、ぼくは喘息の発作を起こしてしまい、その直前だったためか食欲がなく、全部は食べきれなかった覚えがあるが。

明治生まれの人らしく、ステーキを「テキ」と呼んでいたのがとても印象的だった。


だから、お年寄りが理不尽な目に遭うのを見ると、心底腹が立つし、悲しくなる。

それに、自分もいつかは老人になり死んでゆくのだから、いま生きているお年寄りはぼくらにとってモデルであり、希望(もしくは絶望)の源泉でもある。

様々な意味で宙ぶらりんの、いまのぼくにとって、自分がこれからどんな生き方をしてどんな死に方をするのかなんて全く見えてはこないけれど、ぼくの二人の祖母は限りなく優しい人だったから、せめてその優しさの欠片だけでも持って生きたいとは思う。

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<東日本大震災>お墓にひなんします 南相馬の93歳自殺
(7/9 2:35 毎日新聞)

「私はお墓にひなんします ごめんなさい」。福島県南相馬市の緊急時避難準備区域に住む93歳の女性が6月下旬、こう書き残し、自宅で自ら命を絶った。東京電力福島第1原発事故のために一時は家族や故郷と離れて暮らすことになり、原発事故の収束を悲観したすえのことだった。遺書には「老人は(避難の)あしでまといになる」ともあった。

女性は同市原町区の静かな水田地帯で代々続く田畑を守り、震災時は長男(72)と妻(71)、孫2人の5人で暮らしていた。長男によると、以前から足が弱って手押し車を押していたが、家事は何でもこなし、日記もつけていた。

第1原発の2度の爆発後、近隣住民は次々と避難を始めた。一家も3月17日、原発から約22キロの自宅を離れ、相馬市の次女の嫁ぎ先へ身を寄せた。翌日、さらに遠くへ逃げるよう南相馬市が大型バスを用意し、長男夫婦と孫は群馬県片品村の民宿へ。長距離の移動や避難生活を考え、長男は「ばあちゃんは無理だ」と思った。女性だけが次女の嫁ぎ先に残ることになった。

4月後半、女性は体調を崩して2週間入院。退院後も「家に帰りたい」と繰り返し、5月3日、南相馬の自宅に戻った。群馬に避難している長男にたびたび電話しては「早く帰ってこお(来い)」と寂しさを訴えていたという。

長男たちが自宅に戻ったのは6月6日。到着は深夜だったが、起きていて玄関先でうれしそうに出迎えた。だが緊急時避難準備区域は、原発事故が再び深刻化すればすぐ逃げなければならない。長男夫婦が「また避難するかもしれない。今度は一緒に行こう」と言うと、女性は言葉少なだった。「今振り返れば、思い詰めていたのかもしれない」と長男は話す。

住み慣れた家で、一家そろっての生活に戻った約2週間後の22日。女性が庭で首をつっているのを妻が見つけ、長男が助け起こしたが手遅れだった。

自宅から4通の遺書が見つかった。家族、先祖、近所の親しい人に宛て、市販の便箋にボールペンで書かれていた。家族には「毎日原発のことばかりでいきたここちしません」。先立った両親には「こんなことをして子供達や孫達、しんるいのはじさらしとおもいますが いまの世の中でわ(は)しかたない」とわびていた。

奥の間に置かれた女性の遺影は穏やかに笑っている。近所の人たちが毎日のように訪ねてきて手を合わせる。「長寿をお祝いされるようなおばあちゃんが、なぜこんな目に遭わなければならないのですか……」。遺書の宛名に名前のあった知人が声を詰まらせた。葬儀で読経した曹洞宗岩屋(がんおく)寺前住職、星見全英さん(74)は「避難先で朝目覚め、天井が違うだけで落ち込む人もいる。高齢者にとって避難がどれほどつらいか」と心中を察する。

取材の最後、長男夫婦が記者に言った。「おばあちゃんが自ら命を絶った意味を、しっかりと伝えてください」【神保圭作、井上英介】

◇女性が家族に宛てた遺書の全文
(原文のまま。人名は伏せています)
このたび3月11日のじしんとつなみでたいへんなのに 原発事故でちかくの人達がひなんめいれいで 3月18日家のかぞくも群馬の方につれてゆかれました 私は相馬市の娘○○(名前)いるので3月17日にひなんさせられました たいちょうくずし入院させられてけんこうになり2ケ月位せわになり 5月3日家に帰った ひとりで一ケ月位いた 毎日テレビで原発のニュースみてるといつよくなるかわからないやうだ またひなんするやうになったら老人はあしでまといになるから 家の家ぞくは6月6日に帰ってきましたので私も安心しました 毎日原発のことばかりでいきたここちしません こうするよりしかたありません さようなら 私はお墓にひなんします ごめんなさい
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この遺書を読んで、ぼくは自分の祖母に重ね合わせざるを得なかった。

父方の祖母も、家事は何でもこなしたし、こまごまと日記もつけていた。そして、末期の癌で入院した時も自分の荷物は全部自分で準備していたし、「最期まで人に迷惑をかけずに逝く」という姿勢を貫き通した。


今回、自ら命を絶った女性は、きっとぼくの祖母と似ていたのだろう、と思う。

「お墓にひなんします」という表現も、この方がご遺族に少しでも精神的な負担をかけまいとした優しさから出たユーモアだったのではないか。

もちろん、自殺を美化してはいけない。だが、彼女の自己犠牲はなにものにもまして崇高であり、かけがえのない優しさからだと信じたい。

この件について、ある心理学者がTwitterでこう語った。

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ynabe39
「おばあちゃんの自殺」で「これで誰かを批判できる」「これで自分が正しいと言える」と大喜びしている卑劣な人々をネットで見る。
07/09 15:33
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彼女の死は悼むべきではあるが、それを利用してはいけない、ということだと言える。

彼女の死を以て、政府や東電批判を展開したり、彼女を原発反対運動のジャンヌダルクのように扱うことは確かに、彼女の本意ではないと思う。

冷たく、厳しい言い方かもしれないが、命を絶つことまではなかったとも言えるかもしれない。

だが、それでも、93年間生きてきた彼女の時の重さに、そして何よりも、こうして自ら幕を閉じざるを得なかった彼女の「優しさ」に触れても何も思わぬ政治家や官僚がいるとしたら、あるいは、これほどまで彼女を追い詰めたことに無反省の東電社員がいたとしたら、人間失格だ、と言うしかない。

無論、こんな偉そうなことを言う資格はぼくにはないのも承知しているし、感情に流されてはいけないのもわかってはいる。

だが、足腰の弱った老婆が、庭に縄を掛け、独り寂しく命を絶つ姿を想像しただけで、ぼくは涙が止まらなかったし、そこまで彼女を追い詰めたあらゆるものに対して怒りを覚えたことも確かである。

「ユートピア」はどこにも無いけれど、少なくとも、お年寄りや子どもが幸せになれない国は、どこか間違っている。


御冥福を心からお祈り申し上げると共に、これ以上、こんな悲しい出来事が起こらないことを切に願うばかりだ。

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