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2009/01/09

暁の超特急、東へ

暁の超特急、東へ
岡山駅発6:08ののぞみで名古屋に向かう。

昨日、岐阜に住む伯父が癌で亡くなったと連絡を受け、急遽、別れを告げるために岐阜まで日帰りで行くことになった。

亡くなった伯父は母の兄で、朴訥として優しい伯父だった。

以前は名古屋でタクシーの運転手をしていた。もともと車の運転が上手く、安心して乗っていられた。

茶目っ気もあった。

昔、伯父の運転する車で母の田舎を訪れたとき、高速道路の追い越し車線をトロトロと走る車があった。

バッシングをしてもクラクションを鳴らしても一向に避けなかったので、伯父は左車線に移り、ダッシュボードからサングラスを取り出してかけ、窓を開け、件の車の左側につけると、「くぉらぁ!左へ寄らんかい!左へぇ!」と叫び、そのまま通り過ぎた。その仕草がおかしくて、僕を含め、車に乗っていた伯母や娘たちもみんな笑っていた。

実はその前の晩、僕に向かって伯父はこう言っていたのだ。

「ええかぁ、玉基。車を運転しとる時はなぁ、どんなことがあっても…怒ったらいかんぞ。」

人柄ゆえ、タクシーの運転手だった頃には良いお得意さんに恵まれていたようだ。

そう言えば、お得意さんではないけれど、台風で新幹線が止まっていた時に、名古屋から愛媛の松山までお客さんを乗せたことがある、という話も聞いた。


去年の暮れに、伯父から柿が届いた。御礼の電話をかけて話をしたのが、伯父と交わせた最後の言葉だった。

亡くなる前は、薄目を開けた状態で意識も無く、一時は血圧が50まで落ち、褐色の液体を吐いたそうだ。

そして、亡くなる直前には目をかっと見開き、手足をバタつかせて、苦しげに担当医の名前を何度も呼んだということだ。相当に苦しかったのだろう。

たまたま担当医は外来で来られなかったそうで、その若い担当医は、この話を後から聞いて涙を流したそうだ。良いお医者さんなのだろう。

伯父はその後すぐに、眠るように息を引き取ったそうだ。自分の命が消え去る瞬間を、伯父はどのように受け止めたのだろうか。

僕の母がいつも「にいちゃん」と呼んで慕っていた伯父。だから、母にとってはそれこそ自分の体の一部を失うかのような辛さであろう。

そして、一昨年の祖母の死に次いで、この伯父の死は、僕にとっても、それまであたりまえに思っていた日常の風景が音を立てて崩れてゆく経験である。

いつかは必ず、父や母の野辺の送りをせねばならないし、僕自身も死ぬ。自分は、いつ、どんな風に死ぬのだろう…。


先ほど、新大阪駅を出た。空はだいぶ明るくなったが、今日は天気が悪い。

名古屋まであと45分。少し眠ろう。


合掌

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