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2006/11/28

m(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m

先程、日付が変わり、深い霧にむせぶ静岡のホテルで36歳を迎えた。

特に感慨も無いが、三十代後半に入ったのが信じられない。

何はともあれ、ここまで支えて下さった皆様に心から御礼申し上げたい。

ありがとう。

2006/11/21

人情

いつも使っている旅行鞄は、取っ手とゴロのついたキャリーバッグだが、あまりにも酷使しているのでゴロは刷り減り、昨日はとうとう引っ張るための伸縮する取っ手のネジが外れてなくなってしまった。

鞄上部の持ち手もいつ抜けるかわからない状態なので、とうとう今日、静岡の駅ビルで新しいキャリーバッグを買った。

おかげでキャリーバッグを2つ転がしての移動になったが、取っ手のネジが外れたままなので転がすのもひと苦労である。

そこで、確か秀英予備校の藤沢校舎の近くに金物店があったことを思い出し、代わりのネジを探しに立ち寄った。

昔ながらの金物店で、老婦人がネジを探してくださった。

なかなか合うネジが見付からず、他にお客さんも来られたので、一人で探していると、奥からもう一人、老婦人が現れた。姉妹なのかもしれない。

彼女はドライバーを片手に、懸命に合うネジを探してくださった。どうにか合うネジが見付かり、「上から巻くテープも買いたい」と申し出ると、「このセロテープを使いなさい」と言ってくださった。

ネジのお代を、と言うと、「ネジ一つだけだから、差し上げますよ」とのお言葉。

「いや、それでは申し訳ありませんから、お支払いします」と固辞すると、


「人の親切を無にしてはいけませんよ。」


とピシャリと仰られた。

その言葉がずしん、と胸に響いた。

では、有り難く頂戴します、また伺います、と御礼を述べて店をあとにした。

嬉しかった。本当に嬉しかった。涙が出た。

嬉しかったから、授業中に早速話した。話をしながらも、熱い感情が込み上げてきて、言葉に詰まりそうになった。

「金は天下の回りもの」とは良く言うが、「情けも天下の回りもの」である。僕がいただいた施しを、今度は誰かに引き継いでいかねばならない。

親切な行為の連鎖が、あたたかい心のリレーが、どんどん広がるように。

成程

成程

この前、八重洲ブックセンターで見掛けた看板。

店内にお客を誘導するための工夫なのだろう。成程、面白いアイディアだ。

「5000歩」…きっと、万歩計をつけた店員が実測したのだろう。

2006/11/10

発表会

発表会

昨夜は塾で仮眠しながら、名古屋学芸大学入試対策講演(12月17日実施)の原稿書き。ソファで仮眠したので流石に背中が痛い。

朝早くに長男から電話があった。

「パパ、今日発表会なんだけど…来てくれる?」

ということで、急遽岡山に戻る。息子の出番には辛うじて間に合った。

体育館で多くの保護者を前に、学年ごとに発表や演奏を披露していた。

2006/11/08

青空

青空

青空

浜松に到着。

今日も富士山は美しかった。

2006/11/07

絶景

絶景

絶景

今日の静岡は風が強く、澄みきった青空。

もしかして今日こそは…そう期待して新幹線に乗った。

…嗚呼、何と美しいことか。
何と神々しいことか。

霊峰・富士山の面目躍如である。

まだまだ雪とは無関係の周囲の風景のなか、ただ一人、白き外套を身に纏う孤高の存在に圧倒される。

大きな写真は新富士駅を出たあたり。小さな写真は三島駅で撮ったもの。

今は三島に停車中。まだ目の前に美しい姿が見えている。

写真を撮っていて気付いたが、それにしても、無粋な電線の多いことよ。

2006/11/06

断章

断章

静岡への移動中。

雨の浜松に到着。

少し憂鬱な午後。

2006/11/04

教師の虐め

近頃、学校の教師による生徒虐めが問題となっているが、ふと私自身の体験を思い出した。

私が小学校6年になった時のことだった。

母が「そろそろ中学にも上がるのだから、塾に通わせなくてはならないのではないか」と思い始め、知人に相談したところ、「Yといういい塾がある」と聞いたらしい。

ところが、ここで一つの誤りが生じた。Yは、有名な中学受験対策の進学塾であり、受験を全く考えていなかった私が通うべきところではなかった、ということだ。

或いは、当時は校内暴力全盛期で、私の家のあった学区の公立中学は荒れていることで有名だったので、母は勝手に私を受験させるつもりだったのかもしれないが、真意の程はわからないし、別にわかりたくもない。今となってはどうでもいいことだ。

兎に角、私はYの入塾試験を受けた。

当時、Yには「会員」と「準会員」というランクがあり、会員はYの本部教室でYの講師の授業が受けられたが、準会員は「予習シリーズ」という参考書が何冊も渡されるだけで、それを自分で勉強し、毎週行われる会場テストを受験して解説授業を聴く、というシステムであった。

私は「準会員」に合格した。

そこからほぼ毎週、日曜日になるとテストを受けに、一番近くの試験会場である某専門学校に通った。

しかしながら、公立の小さな小学校の優等生ではあったものの、中学受験レベルにはとうてい届くはずもなく、ましてや「予習シリーズ」を自分で勉強することもままならない。せいぜい漢字の書き取りを覚える程度で、試験は毎回惨憺たる結果であった。

これを見て、母は「この子は本当は勉強が出来ないのではないか」と思い込み、私自身も「このままではまずい」と思ったのか、近所にある「I学習教室」に通うことになった。

当時から、「Yの予習シリーズ準拠」をうたった塾がいくつもあり、Iはその一つであった。

Iは成績別にクラスが分かれていたが、Yの準会員ということで、私はクラス編成試験免除で一番上のクラスに入った。

今でも初日のことは覚えている。

確か、塾の時間ギリギリまで近くのゲームセンターで友だちと遊んでいたが、自転車を盗まれ、友だちに自転車を借りて慌てて行ったが遅刻したのだった。そして、その日は漢字の書き取りテストか何かがあって、成績が悪かったので居残りで勉強をさせられた覚えがある。

しかしながら、受験を全く考えていなかったのだから、本気で勉強をするはずもなく、毎回のように居残り学習をさせられた。

塾長は算数を担当するSという講師で、女の子でもテストの成績が悪いと容赦なく平手打ちをした。国語担当のMという講師は、和紙を丸めた「根性棒」なるものを持ち、机を叩いて威嚇した。

このMは、パーマのかかった長髪にバンダナ、髭を生やし、下駄履きで、いわゆるヒッピーのような風貌であった。

僕の同級生に、T君という男の子がいた。彼は吃音があり、動作も鈍かった。

Mは休み時間になると講師室から出てきて、T君をからかい、あるときは下駄でT君を蹴りとばした。床にはいつくばって「やめてよ〜!」と泣きながら嘆願するT君の姿が今でも目に焼き付いている

私自身もMやSに何度か殴られた。

当然ながら受験する気はさらさらないのだから、本気で勉強もせず、成績は上がらなかった。成績が悪かったり、宿題をやっていないと殴られ、居残りで勉強させられた。、それでもYの準会員というだけで時折行われたクラス編成試験は免除され、一番上のクラスに居続けたため、相変わらず授業は分からず、その度に怒鳴られ、殴られ、居残りをさせられるという悪循環が続いた。

確か、9月に入ってからだと思うが、塾に行くのが嫌になり、とうとうサボり始めた。ただし、Yのテストは返却されないと親から怪しまれるので受験し続けた。

はじめのうちは本屋で立ち読みしたり、ゲームセンターで時間潰しをしていたが、そうそう長時間立ち読みもできず、ゲームセンターにいてもゲームがうまいわけではなかったから小遣いも続かなくなったし、恐そうな中学生から因縁をつけられても困るので、次第に行動半径が広がり、電車で遠出するようになった。

だが、あちこち行くには金がかかる。

そこで…、月謝を使い込むようになった。多分、月に2万か3万だと思うが、当時の小学6年生にとっては大金であった(今でも大金だが)。

だが、小賢い餓鬼であったから、証拠が残るような品物を買うことはなかったし、時刻表マニアだったので(笑)、電車の時間を調べて、塾が終わる頃に戻れるようにしていた。

よく行ったのが平塚だった。品川から東海道線に乗って平塚まで往復すると、ちょうどいい時間だったのだ。

しかも、往復ともグリーン車に乗っていたのだから呆れたものだ(笑)。おまけに、腹が減ったら「鰻弁当」を買って、グリーン車にふんぞりかえって食べていたのだから、実に生意気な餓鬼に見えたことであろう。

ある時は、どうしても新幹線のグリーン車に乗りたくなり、横浜から新横浜まで行き、東京までこだまのグリーン車に乗って戻って来るという贅沢なこともした。無論、鰻弁当付きだ。

いつかはバレるであろう。だが、もう戻れない。きっと、自暴自棄になっていたのだと思う。

サボりはじめてから2ヶ月ほど経った11月のある日、学校から帰宅すると、母と祖母がいつになく険しい表情で座っていた。


「あ、バレたな」


とすぐわかった(苦笑)。

案の定、I学習教室から連絡が来たそうだ。だが、その連絡は以下のようなものであった。

「お宅の月謝が2ヶ月滞っています。」

その時は何とも思わなかったが、いま思うと何と不誠実な対応かと呆れかえってしまう。

2ヶ月も休んだのだ。「どうされましたか?体調でも崩されましたか?」と聞くのが筋ではないのか?いや、それ以前に、1回でも無断で休んだら、どうしたのか尋ねるのが当然ではないのか?

結局、母が菓子折りを持参してお詫びし、滞納分を払って退塾した。Yのテストも、それ以降受験するのをやめた。だが、家族にはなぜIをサボり始めたのか、その理由は伝えていない。伝えても無駄と思ったか、自分が月謝の使い込みをしたからという罪の意識が先だったからなのかもしれない。

I学習教室は今でも変わらず、ホームページを見ると塾長もまだSのまま変わっていないようだ。

今でもその前を通ることがあると胸が締め付けられる想いがする。

MやSを刺してやりたいと思うこともあったが(苦笑)、こんな屑どもをあやめて人生を棒に振ることほど馬鹿らしいことはないから、思い止まった。

むしろ彼らは私にとって最高の反面教師なのだろうと思う。何の奇遇か、この連中の同業者になってしまったが、絶対に彼らのような愚かな人間にはなりたくないと思わせてくれたのだから。

2006/11/02

『男はつらいよ』

私はここで政治的な主張をするつもりはないし、政治に関する発言は極力控えたいと思っているのだが、どうにも我慢ならぬことが生じたので、やむなく記す。

政治家にはユーモアのセンスも必要であろうし、的確なたとえ話を使うことで、より効果的に自分の考えを伝えることもできる。

だが、今回報じられた自民党の中川政調会長のコメントは、ユーモアのセンスも無く、たとえ話としても的確さを欠いているばかりか、多くの映画ファン、とりわけ、『男はつらいよ』のファンの逆鱗に触れる愚考である。無論、私も憤っている一人である。

自民党の中川政調会長は1日の日本記者クラブで記者会見し、6か国協議への復帰を表明した北朝鮮を映画「男はつらいよ」の主人公「フーテンの寅さん」に例え、「寅さんが6か国協議から『旅に出るぞ』といなくなってしまい、ふらっと戻ってきた。帰ってきたら、カバンの中に核実験が入っていた」と語った。
(http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061101ia24.htm)

寅さんは、家族や近所の人と喧嘩をすることはあっても、日本海にミサイルを撃ち込んだりしない。
寅さんは、サクラを使って啖呵売(たんかばい)はしても、工作員を使って人を拉致することはない。
寅さんは、毎回マドンナに惚れてふられることはあっても、「喜ばせ組」のような美女軍団をはべらせたりはしない。

中川政調会長は、核保有についての発言で議論を巻き起こしているが、今回の「寅さん」発言から推し量るに、ユーモアのセンスも無ければ、的確なたとえ話もできず、人の神経を平気で逆撫でするような人間であることがよくわかった。少なくとも、数多くの寅さんファンを敵に回したことは間違いないであろう。

中川政調会長の発言は亡くなった渥美清さんをはじめ、『男はつらいよ』にかかわった全ての人々に対する冒涜であり、寅さんをこよなく愛する優しい心を持つ人々の気持ちを踏みにじった暴挙である。是非、発言を撤回し、陳謝してもらいたい。

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