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2006/05/30

寿司

静岡駅のガード下に、「沼津うおがし鮨」という回転寿司の店がある。

毎週、静岡校舎の午前の授業が終わってから藤沢校舎に移動するのだが、時々そこに寄って昼飯を喰らう。

ここは、回転寿司としては値段は比較的高いが、ネタが新鮮かつ豊富で、何より美味い。

それに、卓上にレモン汁と塩が置かれているのが実に心憎い。塩もただの塩ではなく岩塩で、ミルを使ってその都度ガリガリと摺り潰すようになっている。イカなど淡白なネタにはまさにうってつけである。

お気に入りは「トロステーキ」。表面を焼いたトロの上に、玉葱や、にんにくをきかせた大根おろしがのっていて、口に含むと美味さが渾然一体となって襲ってくる。

それから、「あぶりエンガワ」。芳ばしくあぶられたエンガワの表面には脂が滲み出て、そこに件のレモン汁と岩塩をかけて口に含むと、じんわりと脂が広がるものの、レモンで脂が中和され、しつこさは感じられない。実に美味し。

ランチタイムは、15分以内に食べれば1割引になる。

近頃、意識的に減量しているために胃袋が縮んで、食べる量がめっきり減ったので、最盛期の半分から3分の2ほどで満腹になり、さらに15分以内に食べ終えるので、ある程度安く済むが、これが最盛期の食欲ならば、たとえ15分でも恐ろしい値段になったであろう(笑)。

2006/05/28

プロということ

昨日はとても慌ただしかった。午後3時から9時40分までビッシリ授業をして、そのあと生徒さんと面談。10時過ぎに塾を出て、清音へ。

清音にある「夢てらす」という多目的ホールで、知人のギタリスト・坂元 昭二さんのライブが行われていたのだ。

ライブは午後6時30分からなので、とっくに終演しているが、そのあと引き続き打ち上げが行われるというので、あとから合流することになっていた。

夢てらすに着くと、既に真っ赤な顔の坂元さんや清音の皆さんがわいわいと酒盛りの真っ最中。僕は車なので残念ながら呑めなかったけれど、代わりに、ばら寿司やら甘くて美味しい玉葱サラダやら焼き鳥やら盛りだくさんの食事を勧められる。近頃は胃袋が小さくなったのであまり食べられなかったけれど、清音の皆さんの温かいもてなしに感動する。

坂元さんは、さだまさしさんのバックバンドで17年に渡ってギターを弾いてきた。ドラマ『北の国から』のギターも全て彼の演奏である。『関白宣言』などのヒット曲のレコーディングにも参加している。ほかにも、日本のフォークソングやニューミュージックを代表する様々なミュージシャンのバックをつとめてきた凄腕のギタリストである。

僕は中学生の頃、さだまさしファンになり、コンサートにもよく通ったが、その頃ステージでギターを弾いていたのが坂元さんである。

その後、10年前にひょんなことから坂元さんとお話しする機会があり、それ以来、岡山・倉敷でのライブのセッティングなどでお手伝いさせていただいている。うちの塾に講演をしに来ていただいたこともある。

坂元さんのギターを聴く度に、「プロの凄さ」を痛感する。

以前、ライブの打ち上げの席で、僕が余興でさださんの『飛梅』を歌い、坂元さんがリードをつけてくれたことがあった。その時坂元さんが弾いたのは、僕のギターであり、暫く弦も張り替えてなかったから、ボロボロであった。

にもかかわらず、僕のギターを坂元さんが弾いた時、僕がどんなに頑張っても出せないような美しい音―さださんのバックに流れていたのと同じ音―が出たのだ。

その音を聴いた時は身震いがした。

これがプロなのだ、とつくづく思った。

昨日の打ち上げの席で、坂元さんとその話をした。坂元さんは、

「ピアノのコンテストを聴いていると、同じピアノを使っているのにみんな違う音がする。それと同じことじゃないかな。僕は、どのギターでも、『自分の音』が出せるよ。」

と仰っていた。

そして、

「だからこそ、僕はアコースティック・ギターの生音にこだわっているんだ。これが坂元の音だ、って言える音を出せるからね。」

とも。

どんな状況でも、「プロの仕事」をすることができる。「プロの凄さ」を改めて思い知らされた。

僕も頑張らなきゃ。

2006/05/26

今日、塾に行く途中、去年まで住んでいた家の前を通った。

木造の古い大きな家。6DKで、僕の部屋は15畳位あった。トイレは簡易水洗で汲み取り式だったし、屋根裏には猫やら鼬の様な生き物やらが住み着いていたけれど、家賃は安かった。

その家の前を通ったら、小さな子ども服が物干しにかかっていた。ああ、うちと同じような家庭なんだな、と思い、何だかとても感傷的になった。

岡山に来て10年になったけれど、そのうちの半分以上をこの家で過ごしたのだから、いい思い出も、悲しい思い出も、たくさん詰まっている。

あたたかい家庭。「ただいま」と言うと笑顔で「おかえり」と返事が返ってくる家族。そんなあたりまえのことが、どうしてこんなに難しいのだろう。

あ、駄目だ。泣けてきた。ちょっと疲れてるみたいだ。

2006/05/24

ほら

いま、東京から浜松に向かう車中。今日は晴れていて爽やかだ。

最近、授業中に積極的に「ほら」を吹いている。SESの授業では日頃からしょっちゅう話していることだけど(笑)、秀英予備校の方でも、少しずつ「ほら」を吹き始めた。

「ほら」というよりは、「夢」と言うべきかもしれないし、見方によっては「妄想」かもしれない。

ただ、僕が「ほら」を人前で語る時は、それがある程度かたちになりそうな時であり、人前で宣言することで、それを実現に向けるよう自分を追い込むということも意味しているのだ。

昨日の藤沢校舎では、「三十代の責任」ということで、ある教育の構想について話した。

先週の浜松校舎では、ダイエットについて話した(笑)。

この前ここに書いた「下津井レールパーク」もその一つだ。

僕の中には、まだまだ「ほら」が詰まっている。体がいくつあっても足りないくらい。

僕が二十代の頃、三十代の先輩たちが口々に「虚しい」と言っていた。その虚しさが何と無く解るようになった。だからこそ、「ほら」でも吹いていないとやりきれないのかもしれない。

年をとるということは、可能性や選択肢や夢を捨て去り、自分の道を狭めたり深めたりすることなのだと思う。

いまの僕は、それに抵抗しているのかもしれない。

2006/05/23

疲れてるなぁ。

先程の記事、タイトル確認せずに送ってた…。

おまけにたったいま、大呆けをかました。

小田原に着く5分前、目覚ましをセットしていたのだが、止めてから何を思ったかまた寝てしまった…。

目が覚めたら、発車のベルがなっている。

頭の中は

「○★▽※◎◇◆↓#%£!!!!!」

あわてて荷物を抱え、ホームに降りた。間一髪だった。幸い、小田原で通過待ちのこだまだったから良かったようなものの…。

嗚呼、疲れてるなぁ。

「鐵」

いま、静岡駅を出て、藤沢に向かう途中。新幹線に乗っている。

雨が降り始めた。

足腰の痛みは既に慢性的で、筋肉も骨も鍛えねばならないことを文字通り「痛感」する。

昼は少し贅沢をして、駅にある回転寿司へ。ここは多少値は張るけれど、実に美味し。

最近は大分胃袋が小さくなった。良い傾向だ。

東に行くと、雨はまだ降っていない。雨に追われるように移動しているようだ。

小田原まで40分。少し、眠ろう。

2006/05/22

「鐵」

昨日は、久しぶりの休日だった。のんべんだらりと過ごした。

昨夜、テレビで「オタクな父親」の特集をしていた。その中に、鉄道オタク、いわゆる「鐵チャン」の父親が出ていた。

Nゲージという、実物の約150分の1の鉄道模型を集め、部屋には列車の行き先プレートが所狭しと掲げられている。

…忘れていた自分の中の「鐵分」がうずく(苦笑)。

小学生の頃は、上野駅や東京駅に朝早く行って、到着する夜行列車の写真を撮った。愛読書は当然『時刻表』(笑)。あとは『鉄道ジャーナル』『鉄道ファン』『鉄道ピクトリアル』。将来の夢は「レイルウェイ・ライター」。

中学生の頃は、鐵チャンの社会科教師が顧問を務める旅行研究部に所属し、同級生と鉄道に乗りまくった。愛読書に『旅と鉄道』が加わる。

高校生の頃は、学校をサボって秋葉原の交通博物館に籠り、古い時刻表を読みあさった(爆)。

Nゲージのレイアウトも当然(笑)作った。

最近は鳴りを潜めたものの、実はある「野望」というか、「妄想」を二つほど抱いている。

一つは、個人的なこと。今は言わない。目処がついたら言うかもしれない。

もう一つは、倉敷のまち起こしに関わること。

…かつて、「下津井電鉄」という鉄道が走っていた。会社そのものは現在もシモデングループとして残っているが、鉄道部門は1990年に廃止された。瀬戸大橋開通の2年後である。

最初は、茶屋町から児島を経由して下津井まで走っていたが、モータリゼーションの波に圧され、茶屋町⇔児島間を廃止した。その後、児島⇔下津井間を細々と走っていたが、まだ瀬戸大橋線が開通する前のことなので、他の鉄道との乗り換えができない珍しい鉄道であった。

しかも、この鉄道は、線路の幅が762mmしかない軽便鉄道だった。新幹線は1435mmだから、その半分程度である。現在、この幅の鉄道で正式に営業運転しているのは、日本では1つしかないはずだ(尾小屋鉄道や木曽森林鉄道などの保存鉄道を除く)。

つまり、日本の鉄道史上、非常に価値のある鉄道なのだ。

そして、現在、下津井電鉄の廃線跡は「風の道」と名付けられ、サイクリングや散歩を楽しめる遊歩道になっているが、下津井駅については、まだ駅舎が残っていて、敷地内には車両が残っているのだ。

興味の無い人からすれば、大きな粗大ゴミにしか見えないかもしれないが、ここには旧・井笠鉄道のディーゼルカーもあり、岡山の鉄道の歴史の生き証人とも言うべき、貴重な歴史的遺産なのである。

そして、現在、毎月一回、「下津井電鉄保存会(http://www.tosp.co.jp/i.asp?I=simodennho&MD=I&KS=M)」というボランティア団体が、車両の整備をしている。

そこで、倉敷市に対して私はこんな提案をしてみたい。

その名も…

「人類補完計画」


…間違えた(*_*)。

サードインパクト起こしてどうする。
( ̄○ ̄;)

改めて…

《「下津井レールパーク」構想》

(1) 下津井電鉄旧下津井駅跡地に、日本初の軽便鉄道博物館を作る。

(2) 運営は、倉敷市と下津井電鉄の第3セクター方式にするか、財団法人又はNPO法人を立ち上げ、入場料倉敷市並びに岡山県からの補助金で行う。

(3) 下津井駅の駅舎は改築整備を行い、往時の雰囲気を再現する。改札を入館口として利用し、入場券はかつての切符のデザインにする。

(4) 駅構内には300m〜400m程のレールを敷き、ディーゼルカーを『動態保存』する。有料の講習会を受講すれば仮免許が交付され、誰でも運転できるようにする(群馬県の「碓氷峠鉄道文化村」では既に機関車の運転について同様のことが行われており、週末は予約が一杯である)。ただし、安全面には留意して、ATSなどの設備が必要である。

(5) 駅舎とは別に、日本中の様々な軽便鉄道の資料を集めた「軽便鉄道資料館」を建設する。駅舎の改築も、資料館の建築も、シモデングループにある建設会社で賄えるのではないか。

(6) ディーゼルカー以外の車両(電車)は、静態保存とする(ディーゼルカーは軽油さえあれば走るが、電車は変電所など莫大な設備投資が必要)。

普通に鉄道博物館を作っても、家族連れやファンが集まる。「自分でディーゼルカーを運転できる」となれば、尚更ではないだろうか。

私は以前、エフエムくらしきのレポーターを務めており、一昨年の鉄道記念日にはこの下津井駅跡地を尋ねてレポートを行った。

これだけ素晴らしい文化遺産を、行政がないがしろにしておくのは実に愚かなことである。何しろ、倉敷市の大きな観光名所になる可能性を十分有しているのだから(地元の視点からすればあたりまえのつまらぬものでも、よそから見れば実に素晴らしいものである、ということはよくあるのだ)。

「下津井電鉄保存会」の皆さんの地道な活動が今後も継続し、大きく結実することを願う(本当はお手伝いに行きたいのだが、いつも授業と重なっていて、未だに実現できていない…(*_*))。

2006/05/21

策略

策略

まんまと嵌ってしまった。

スーパーで豆腐を見ていたら、コッペパンのようなかたちの入れ物に入った豆腐を発見。

表にはデカデカと『風に吹かれて豆腐屋ジョニー』の文字。

京都にある豆腐店のものらしい。その名も「男前豆腐店株式会社」(爆)。ホームページは

http://www.otokomae.jp

だそうだ。徹底した凝りようである。

容器の裏側には『JOHNNY』の文字。材料は「沖縄県糸満沖海水苦水&北海道産丸大豆」と書かれている。

まだ味をみてはいないが、なかなか期待できそうだ。ちなみに値段は298円とやや高めだが、ネーミングといい、かたちといい、まんまと男前豆腐店の策略に嵌ってしまった(笑)。

2006/05/19

蒸し風呂

今日は、雨が止んだと思ったら、午後から蒸し暑くなった。

昨夜は今日〆切の原稿のために徹夜。といっても、体が持たないから、とりあえず少し仮眠したけれど…。しかしながら、それでも原稿が終わらず、今からまた数時間、原稿にかかりっきりになる予定(爆)。

今日の授業は、またまた中間試験の時期で休みが多く、後半の読解はなんとマンツーマン(苦笑)。その生徒さんは、普段はとてもおとなしい子であまり自己主張をしない(と私が勝手に受け止めているだけなのかもしれない)けれど、今日はいろいろと話ができた。

何と、過去に絵画で大きな賞を取ったことがあるそうだ。将来はそれを生かした仕事につくかどうか、迷っているとのこと。

エリクソンのアイデンティティ論からすると、青年期である十代後半~二十代前半は「アイデンティティ(の確立)とアイデンティティの拡散」の狭間を行ったり来たりする時期である。

自分には、こんな夢があり、あんな夢もある。こんな人にもなりたいし、あんな人にもなりたい…たくさんの可能性が目の前に開けている反面、その中から1つを選択しなければならない。残酷な言い方かもしれないけれど、「大人になることは、夢を捨て去ること」と言い換えてもいいのかもしれない。

だけど、一つのことに秀でようとすれば、その一つのことだけではなく、それ以外の様々なことも知らなくてはならない。

 「一であって多にゆくものを博学といい、多であって多にとどまるものを多学といいます。博学はたとえば根のある木であって、根から幹や枝や花や実がびっしり茂り、それらは無数だが、しかも樹液の至らぬところはなく、いつまでも成長し続けるようなものです。多学はたとえば切り花であって、枝葉や花や実が相ならび輝かしく、見る目に美しいが、しかも乾き枯れて長持ちせず、成長しないようなものです。生と死が相反するようなもので、同一視してはいけません。」(伊藤仁斎)

 多学ではなく、博学を目指したいものだ。

2006/05/18

梅雨前線、北上中

梅雨前線、北上中

昨日は浜松校舎での授業のあと、ホテルに篭ってひたすらパソコンに向かった。気付けば午前3時。ベッドに倒れ込み、アラームで目覚めたのが今朝7時半。ホテルは朝食付きだったから、寝惚けた頭と体を引きずってレストランへ。

朝食を済ませたあと、部屋に戻ってシャワーを浴びてからチェックアウトをして浜松駅へ。

今日は平日だというのにかなり混んでいた。名古屋で乗り換えた時に、いま乗ってきた「こだま」に修学旅行生がたくさん乗っていたことに気付いた。名古屋からの「のぞみ」は普通車が満席のため、止むを得ずグリーン車に乗る。眠くてたまらない。早く検札に来てほしいのだが…。

ふと車窓を見ると、山に低く垂れ込めた雲の幻想的な風景。

緑と白。心が落ち着く。

ようやく検札が来た。やれやれ、これでひと眠りできそうだ。

2006/05/17

原稿

原稿

現在、浜松に向かう新幹線の車中。品川駅でスタバのコーヒーを買って乗り込んだ。

岡山日日新聞に連載中の『楽しく学ぼう!スーパー英語塾』の今週分の原稿を一気に書き上げる。この連載も次回で78回目。毎週、A4版3〜4枚の原稿を書くのは大変だけど、これまで学んだことをまとめる絶好の機会だし、新たな発見もある。

既に参考書2冊分位のストックが出来ているけれど、どこかで出版してくれないかな…(笑)。自費出版という手もあるけれど、そんな金はない(爆)。

ということで、「山添の書いた参考書を出版キボンヌ」という方はコメントをつけて下さい(苦笑)。

ゆとりゼロ

昨日、藤沢校舎から帰る時、「新小岩で人身事故のため、横須賀線は東京駅で折り返し運転」のアナウンス。

同じく昨日の昼間に静岡から藤沢に移動する時は、小田急線が事故のため遅れ、振替乗車のアナウンスが流れていた。

どちらも自分のスケジュールには関係なかったけれど、これだけ過密ダイヤで走っているのだから、何があってもおかしくない。いやむしろ何もない方が奇跡なのだろう。

人口が密集しているから、それだけ頻繁に運行しなければならないのもわかるが、まるで一触即発の爆弾みたいだ。ほんのわずかなトラブルでも、全体に大きな影響を与えてしまう。何だかものすごくギスギスしていて、余裕なんて感じられない。

1本乗り遅れてもすぐ次が来るのに、血眼になって乗る乗客。それを捌くために秒刻みで運行される列車。

まち全体がゆとりや遊びを失っている。システムの合理性が人にとっての足枷になっている。息苦しいったらありゃしない。

それなのにみんな東京に集まってくる。わざわざ足枷をつけてもらいに。わざわざ首を絞めてもらいに。

2006/05/15

修学旅行

修学旅行

先程、京都駅に到着したら、ホームには修学旅行の生徒たちの姿が。

そう言えば、うちの生徒も来週修学旅行だて言ってたなぁ。

僕らの頃はほとんどなかったけれど、今では公立高校でも海外に修学旅行なんていう時代だからねぇ。変わったもんだ。

僕の高校の修学旅行は、「京都二泊三日」。東京の高校で京都だけというのも、二泊三日だけ、というのも珍しかったのではないだろうか。

しかも、初日は東京から新幹線に一斉に乗り、クラス毎に降りる駅が違う。うちのクラスは米原で降りて水郷めぐり。船頭さんのガイドそっちのけで、屋形船の中でUNOに熱中していた。

他のクラスは名古屋で降りて明治村に行ったり、神戸まで足を伸ばして街歩き、というのもあった。要は、その日の夕方までに京都の旅館に到着すればいいわけだ。

旅館では、夕食と入浴ののち、自由行動。門限は決まっていたけれど、私服で外出だからみんなでボーリングへ。中にはパチンコに行ったヤツもいたようだ。何しろ、そいつは翌日の自由行動の時間に景品を両替所に交換しに行ってたのだから(笑)。

二日目はグループ別に自由行動。僕らはひたすらお寺をまわり、最後は映画村へ。他のグループは、大阪まで行って「かに道楽」で昼から宴会、ということもあったらしい(爆)。

宿に戻ったら初日と同じく夕食と入浴ののち、自由行動。

最終日は、午前中がグループ別に自由行動で、昼過ぎに京都駅に集合し、一斉に新幹線で帰った。

二泊三日は短いけれど、その分、メチャメチャ濃い時間を過ごせたんじゃないかな…。

いま、米原を通過。

2006/05/14

この時期は…

今は高校の中間試験前で、休む生徒もちらほら…。

今日はセンター英語とメディカル英語で、前半のセンター英語は通常通りだったけれど、後半のメディカル英語は欠席の連絡が多かったので、今日は休講にして来週に持ち越し。

たまたま来週が空いていたからよかったけれど…。

2006/05/10

雨の浜松

今日は東京から浜松に移動し、浜松校舎での授業。

いつもどおり80分×3コマをこなし、ホテルへ。外はしとしとと小雨。

こんな夜は、部屋に閉じこもって本でも読むのがいいかな。いや、その前に新聞の原稿を書かなきゃ。

行きの新幹線の中では、昨日静岡で購入した、さだまさし『本気で言いたいことがある』(新潮新書)を読了する。さだまさしという人物を、改めて凄い、と思った。

僕がさだまさしを知ったのは、13歳のとき。中学の先生から薦められて、「さだまさしのセイ!ヤング」というラジオ番組を聴いたのがきっかけだった。

彼は僕よりも18歳年上だから、当時31歳。今の僕は、既にその年を4つも超えている。

比べるべきことではないのかもしれないし、そもそも、彼のような人物と自分を並べることは、彼や彼のファンからすれば全く失礼な話なのかもしれないが、自分があまりにも小さく見えて、ああ、俺っていったい何してんだろう、って思わずにはいられない。

今の僕の年齢から18を引くと、17歳。ちょうど、今授業で向かい合っている生徒たちの年齢だ。

さだまさしが35歳のとき―1987年―、彼は「長崎から」という平和を祈るコンサートを始めた。有名な『風に立つライオン』が収録されているアルバム『夢回帰線』を出した。

それに引き換え、自分自身は何も生み出せていない。もちろん、彼と同じペースで事を進めることなんてできやしないけれど、僕は、18歳年下の生徒たちに、何を伝えてあげられるのだろうか。彼らは僕から何を受け取ってくれているのだろうか。

こんな風に書いていると、自分をとても卑下しているように受け止められるかもしれない。だけど、僕はむしろ、久々に彼の本を読んだことで、「こんなことしていられないな。ぐずぐずせずにがんばらなきゃ」って元気が出た。

さあ、原稿書くか!

2006/05/09

旅から旅へ

旅から旅へ

静岡で午前の授業を終えて、今から藤沢に移動。

今は駅のガード下にある居酒屋で定食を喰らうところ。

2006/05/08

休み明け

休み明け

とうとうGWも終わり、夏休みまで長期休暇は無し。今日は静岡での授業のため、只今移動中。新大阪でのぞみからひかりに乗り換え待ち。

ついこの前まで肌寒かったのに、もうすっかり初夏の陽気で、コンクリートに照り返す太陽の熱気が伝わる。

2006/05/01

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